ヒ85船団とは? わかりやすく解説

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ヒ85船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 22:06 UTC 版)

ヒ85船団(ヒ85せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年12月から1945年1月に門司からサンジャックへ航海した日本の護送船団である。積み取りに向かう石油タンカーを主体に、ルソン島へ陸軍部隊を運ぶ輸送船も経由地の高雄港まで合同して運航された。タンカーは故障した1隻以外無事に到着し、ルソン島への増援も8割が上陸する一応の成功を収めた。なお、ここではルソン島行き輸送船の帰路にあたるマタ40船団についても解説する。


注釈

  1. ^ a b ヒ85船団の当初加入タンカーについて、岩重(2011年)や『海防艦鵜来戦時日誌』ではせりあ丸1隻だけとするのに対し[5][6]、駒宮(1987年)および『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』では「神佑丸」を加えて2隻としている[7][8]
  2. ^ 駒宮(1987年)はルソン島向け船団の門司・高雄間の別名をモタ38船団とする[7]。しかし、『第一護衛艦隊戦時日誌』によればモタ38船団は1945年2月16日に門司から高雄へ出航した別の護送船団である[9]
  3. ^ 戦史叢書41巻『捷号陸軍作戦』559頁の兵団部隊輸送表では、滑空第二聯隊の出撃日を21日とする。だが海防艦鵜來戦時日誌では日向丸と青葉山丸も12月19日門司出撃とする。
  4. ^ モタ28船団は大楠丸、神祇丸、桜栄丸、山澤丸、室蘭丸、帝海丸の輸送船6隻で、第20号・第138号海防艦の護衛により門司を12月14日に出発し、12月22日に無事に高雄へ到着[14]。そのほかのヒ85船団途中加入船のうち延長丸、延元丸、延慶丸の3隻は、同じ12月に高雄まで南下したところで運航打ち切りとなったミ29船団の加入船であった[15]
  5. ^ この点、『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』によれば、大楠丸は12月21日に台湾海峡北部北緯25度22分 東経120度09分 / 北緯25.367度 東経120.150度 / 25.367; 120.150地点で暴風により遭難沈没して2人死亡となっている[17]。しかし、大阪商船の『戦禍損傷船舶 事故・海難報告書』には1945年1月9日に高雄碇泊中の空襲により損傷して戦死4人・負傷8人との記録があり、高雄までたどり着いている[18]。その後、大楠丸は1月19日に高雄発のタモ38船団へ加入して日本本土へ帰還したが[19]、同年5月5日に小呂島付近で空襲により大破擱座している[20]
  6. ^ 第138号海防艦は、その後、マニラから北上してきた高雄行きのマタ38A船団を第66号海防艦とともに護衛するが、1945年1月2日の第5空軍所属A-20攻撃機・P-38戦闘機による空襲で同船団の貨物船の明隆丸(明治海運:4739総トン)および菱形丸(鹵獲船:2833総トン)とともにサンフェルナンド付近で撃沈された[33][34]
  7. ^ ただし、『アメリカ海軍第二次世界大戦公式年表』(The Official Chronology of the US Navy in World War II )ではアスプロの神州丸攻撃日付が1月2日で、1月3日の空襲でとどめを刺したと逆の経過を述べている[34]
  8. ^ 確認できる南号作戦への参加船はヒ88Aのせりあ丸(生還)、ヒ88Cの延長丸(日本郵船:6888総トン、生還)、ヒ88Dの大暁丸(大阪商船:6892総トン、沈没)と延元丸(日本郵船:6890総トン、沈没)およびヒ88Eの神佑丸(岡田商船:6956総トン、生還)と延慶丸(日本郵船:6892総トン、生還)まで6隻。このほか、楓栄丸(日東汽船:2872総トン)に乗船した海軍警戒隊戦闘詳報には、2月10日に他の輸送船1隻と船団(名称不明)を組み護衛艦2隻を伴ってシンガポールから日本本土へ出航と記録されている[51]。この記録はヒ88F船団(輸送船2隻・護衛艦2隻)の2月11日(『海防艦能美戦時日誌』によると2月10日[52])にシンガポール発・3月8日に門司着と類似するが、同船団の加入船は駒宮(1987年)によれば栄丸と福栄丸、岩重(2011年)によれば船名不詳である[53]
  9. ^ 門司=高尾間の参加海防艦には資料により差異があり、このリストは『海防艦鵜来戦時日誌』に従っている[6]。岩重(2011年)では第27号が高雄からの途中参加とされ、代わりに第112号と第138号が挙がっている[5]。駒宮(1987年)によれば、対馬は高雄からの途中参加で代わりに第112号が挙がっており[7]、第138号については12月22日に門司から高雄へ到着したモタ28船団(ヒ85船団へ途中加入する大楠丸、神祇丸、桜栄丸、山澤丸を含む)の護衛艦に挙げている[14]

出典

  1. ^ 戦史叢書41巻、469-470頁『第二十三師団主力海難の報到る』
  2. ^ 戦史叢書41巻、485-486頁『第十、第十九師団、船舶工兵二コ聯隊の派遣発令と輸送計画』
  3. ^ 戦史叢書41巻、470,485頁〔陸命第1187-8号(20日)(要約)在臺灣第十師団(船舶工兵第三十二聯隊を付す)、在鮮第十九師団(船舶工兵第二十五聯隊を付す)を比島  同二十四日大命 關東軍は第十二師団を集結待機させよ〕
  4. ^ a b c 戦史叢書41巻、470-471頁『陸軍部苦慮』
  5. ^ a b c d e 岩重(2011年)、95頁。
  6. ^ a b c 海防艦鵜来 『自昭和十九年十二月一日 至昭和十九年十二月三十一日 海防艦鵜来戦時日誌』 JACAR Ref.C08030595900、画像6枚目。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 駒宮(1987年)、311-312頁。
  8. ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』、JACAR Ref.C08050112800、画像32枚目。
  9. ^ 第一護衛艦隊司令部 『自昭和二十年二月一日 至昭和二十年二月二十八日 第一護衛艦隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030142100、画像48枚目。
  10. ^ 戦史叢書41巻、558頁(第一挺進集団、第一滑空聯隊)
  11. ^ 戦史叢書41巻、559頁(昭和19年12月中旬~1月中旬の兵団部隊輸送表)
  12. ^ 戦史叢書41巻、558頁(第一挺進集団第二聯隊)
  13. ^ 海防艦鵜来 『自昭和十九年十二月一日 至昭和十九年十二月三十一日 海防艦鵜来戦時日誌』 JACAR Ref.C08030595900、画像7枚目。
  14. ^ a b 駒宮(1987年)、310頁。
  15. ^ 駒宮(1987年)、299-300頁。
  16. ^ a b c d 駒宮(1987年)、314-315頁。
  17. ^ a b c 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』、JACAR Ref.C08050112600、画像18枚目。
  18. ^ 大阪商船株式会社 「大楠丸事故報告書」『戦禍損傷船舶 事故・海難報告書』 JACAR Ref.C08050121900、画像43-48枚目。
  19. ^ 駒宮(1987年)、334-335頁。
  20. ^ 駒宮(1991年)、154頁。
  21. ^ a b 海防艦鵜来 『自昭和十九年十二月一日 至昭和十九年十二月三十一日 海防艦鵜来戦時日誌』 JACAR Ref.C08030595900、画像7、17枚目。
  22. ^ 大井篤 『海上護衛戦』 学習研究社〈学研M文庫〉、2001年、362頁。
  23. ^ 第一護衛艦隊司令部 『自昭和二十年一月一日 至昭和二十年一月三十一日 第一護衛艦隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030142000、画像11枚目。
  24. ^ 三宅戦記、118-120頁『虎兵団を決死輸送』
  25. ^ 三宅戦記、121頁『虎兵団比島緊急輸送行動図(昭和19年~20年)』
  26. ^ 海防艦能美 『自昭和十九年十二月一日 至昭和二十年三月三十一日 海防艦能美戦時日誌』 JACAR Ref.C08030151000、画像45-46枚目。
  27. ^ a b 岩重(2011年)、79頁。
  28. ^ 三宅戦記、119頁では三宅、能美、海防艦20号、海防艦39号、海防艦112号、海防艦138号とする。
  29. ^ 三宅戦記、122頁
  30. ^ Cressman (1999) , p. 599.
  31. ^ a b 三宅戦記、124-125頁
  32. ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』、JACAR Ref.C08050112500、画像48枚目。
  33. ^ 駒宮(1991年)、315頁。
  34. ^ a b Cressman (1999) , p. 602.
  35. ^ 郵船(1971年)、816頁。
  36. ^ 駒宮(1991年)、315-316頁。
  37. ^ a b 三宅戦記、125-126頁『高雄沖対空戦闘』
  38. ^ 郵船(1971年)、291頁。
  39. ^ a b 第一護衛艦隊司令部 『自昭和二十年一月一日 至昭和二十年一月三十一日 第一護衛艦隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030142000、画像58枚目。
  40. ^ 三宅戦記、127-129頁
  41. ^ 三宅戦記、132-133頁
  42. ^ a b c d e f 駒宮(1987年)、324-325頁。
  43. ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』、JACAR Ref.C08050112600、画像12枚目。
  44. ^ 三宅戦記の133頁では戦死者6名の姓・階級記載。
  45. ^ 三宅戦記、137-139頁『香港港で対空戦闘』
  46. ^ 三宅戦記、139頁『ヒ87、さらわく丸、ヒ88C船団(南号作戦)参加行動図(昭和20年)』
  47. ^ 海防艦鵜来 『自昭和二十年一月一日 至昭和二十年一月三十一日 海防艦鵜来戦時日誌』 JACAR Ref.C08030595900、画像29枚目。
  48. ^ 駒宮(1987年)、333頁。『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』、JACAR Ref.C08050112500、画像49枚目。Cressman (1999) , p. 609.
  49. ^ 駒宮(1991年)、254頁。Cressman (1999) , p. 613.
  50. ^ 駒宮(1991年)、42頁。
  51. ^ 商船楓栄丸警戒隊長 海軍上等兵曹 秋田悦治 「商船楓栄丸戦闘詳報」『大東亜戦争 戦闘詳報 武装商船警戒隊 自昭和十九年五月 至昭和二十年七月』 JACAR Ref.C08030692100、画像5枚目。
  52. ^ 海防艦能美 『自昭和十九年十二月一日 至昭和二十年三月三十一日 海防艦能美戦時日誌』 JACAR Ref.C08030151000、画像53枚目。
  53. ^ 岩重(2011年)、97頁。


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