建造からヒ船団への就航まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 15:42 UTC 版)
「せりあ丸」の記事における「建造からヒ船団への就航まで」の解説
せりあ丸は三菱長崎造船所で建造された2TL型戦時標準船の8番船で、起工からわずか121日で完成している。2TL型とは、第二次戦時標準船として計画されたうちの大型タンカー(T:タンカー、L:大型)を意味する。船名はブルネイにある石油の産出地、セリアに由来する。 竣工後すぐの1944年(昭和19年)7月13日にせりあ丸はヒ船団のヒ69船団に加わって門司を出港した。ヒ69船団は台湾の高雄を経由して昭南(シンガポール)へ向かうもので、航空母艦海鷹が護衛につく大規模なものであった。ヒ69船団は7月31日に全ての船が昭南に到着し、無事任務を果たすことができた。せりあ丸は昭南で航空機用ガソリンや重油を積んだ後、ヒ70船団に加わって日本へ向かい、8月15日に日本に無事到着した。 9月8日、せりあ丸はヒ75船団の一隻として門司を出港し、9月22日に昭南に到着。ここで再びガソリンと重油を積んで、10月2日にヒ78船団に加わり昭南を出港、11月1日に門司に帰着することができた。1944年末当時、昭南と日本を結ぶ南方の交通路はアメリカ海軍やイギリス海軍の潜水艦によって遮断されつつあり、船団が全船無事に往復できることは奇蹟的とまで言われていた。 12月19日、せりあ丸はヒ85船団に加わって門司を出港した。せりあ丸は翌1945年(昭和20年)1月7日に無事昭南に到着し、17000トンの航空機用ガソリンが積まれたが、帰路の安全が保障されないためにせりあ丸は待機を余儀なくされた。
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