建造から太平洋戦争緒戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:20 UTC 版)
「望月 (駆逐艦)」の記事における「建造から太平洋戦争緒戦まで」の解説
1925年(大正15年)6月25日、大正12年度艦艇補充計画に基づき浦賀船渠で建造予定の一等駆逐艦に第33号駆逐艦の艦名が与えられた。1927年(昭和2年)10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日、望月と改称された。1937年(昭和12年)からの支那事変で中支、南支方面に進出した。 詳細は「ウェーク島の戦い」を参照 1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時、望月は睦月、如月、弥生の睦月型4隻で第30駆逐隊を編制し、南洋部隊の第四艦隊・第六水雷戦隊に所属していた。開戦直後の11日、第30駆逐隊は第六水雷戦隊と共にウェーク島攻略戦に参加した(編制はウェーク島の戦い参照)。陸上からの砲撃と空襲で疾風と如月の駆逐艦2隻を喪失、作戦は失敗したが、望月に被害はなかった。12月21日以降の第二次攻略作戦にも参加し、ウェーク島を占領した。 その後、第六水雷戦隊はラバウル、ラエ、サラモア、ブーゲンビル島の各攻略作戦に参加した。5月上旬の珊瑚海海戦ではポートモレスビー攻略部隊に参加した。5月25日、卯月が第30駆逐隊に編入した。第30駆逐隊は6月以降、ガダルカナル島設営作戦や船団護衛に従事した。7月上旬、弥生と共に修理のため本土へ回航し、13日に佐世保港に帰港した。
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