建造から太平洋戦争前半まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:07 UTC 版)
「ノースカロライナ (戦艦)」の記事における「建造から太平洋戦争前半まで」の解説
ノースカロライナは1937年(昭和12年)10月27日にニューヨーク海軍工廠(その後、ブルックリン海軍工廠に改名)で起工した。同世代の戦艦大和より僅かに早い起工であった。1940年(昭和15年)6月13日、大和より約2か月はやく、イザベル・ホーイ(ノースカロライナ州知事の娘)の手によって進水した。 1941年(昭和16年)4月9日、ノースカロライナは初代艦長オーラフ・M・ハストベット大佐の指揮下就役した。しかし、艤装工事と試運転の際にいくつかの不具合が発覚し、特に機関の推進器の振動による問題は後部デッキの居住性を著しく損うものであった。これらの点を改修するためにシャフトとプロペラの修理が幾度となく行われ、最終的には振動を危険水準以下に抑えることに成功したが、実戦投入可能な状態になるまでには就役後数年を要し、そのため、「ショウボート」(Showboat:「見せかけだけの(使えない)軍艦」という意味)、「USO ノースカロライナ」(USO North Carolina:修理で本土にいる期間が長いため、他の艦艇よりも多くメディアの目に触れることを揶揄して艦船接頭辞(USS)と米国慰問協会(USO)を掛けたもの)と呼ばれた。 ノースカロライナは太平洋戦争が始まる前にカリブ海で整備を完了させ、集中的に訓練を実施した。ノースカロナイナ級2隻(ノースカロライナ、ワシントン)は大西洋艦隊 (United States Atlantic Fleet) の第六戦艦戦隊 (Battleship Division 6) として太平洋戦争開戦を迎える。これ以降は僚艦ワシントンとともにソヴィエト連邦ムルマンスクに向かう船団を独戦艦ティルピッツから護衛する任務に終始した。 1942年(昭和17年)6月10日、ノースカロライナはパナマ運河を渡って太平洋に転じた。空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) がミッドウェー海戦で沈没したので、太平洋戦線4隻目の主力空母としてワスプ (USS Wasp, CV-7) も大西洋から太平洋に転戦した。
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