建造から太平洋戦争開戦までとは? わかりやすく解説

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建造から太平洋戦争開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 18:21 UTC 版)

熊野 (重巡洋艦)」の記事における「建造から太平洋戦争開戦まで」の解説

仮称艦名第4号中型巡洋艦1934年昭和9年3月10日日本海軍建造予定二等巡洋艦を『熊野』と命名し艦艇類別等級表に類別された。4月5日川崎重工業神戸造船所にて起工1936年昭和11年10月15日伏見宮博恭王永野修身海軍大臣列席のもとに進水呉海軍工廠製造され熊野用15.5cm三連砲塔5基は、給油艦知床が呉から神戸輸送した12月7日神戸川崎造船所熊野艤装事務所設置された。 1937年昭和12年7月上旬熊野神戸川崎造船所から呉海軍工廠移動艤装事務所移転した8月8日熊野艤装事務所神戸川崎造船所に戻す。9月下旬から10月上旬にかけて、艤装事務所呉海軍工廠移転10月9日艤装事務所神戸に戻す。10月31日就役。その姿は一般に公開された。同型艦鈴谷同日竣工だった。 1937年昭和12年12月1日最上巡洋艦4隻(最上三隈鈴谷熊野)で第七戦隊編制され熊野旗艦となった12月6日将旗本艦掲げた1939年昭和14年5月20日予備艦指定され、15.5cm3連装主砲を20.3cm連装砲塔換装する工事が行われた。11月15日第七戦隊再編され熊野は再び旗艦になった1940年昭和15年10月11日第七戦隊第八戦隊重巡5隻(熊野鈴谷最上利根筑摩)は紀元二千六百年特別観艦式参加した第七戦隊司令官栗田健男少将第一小隊熊野鈴谷第二小隊三隈最上の編制1941年昭和16年12月太平洋戦争開戦迎えた

※この「建造から太平洋戦争開戦まで」の解説は、「熊野 (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「建造から太平洋戦争開戦まで」を含む「熊野 (重巡洋艦)」の記事については、「熊野 (重巡洋艦)」の概要を参照ください。

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