建造から太平洋戦争開戦まで
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「熊野 (重巡洋艦)」の記事における「建造から太平洋戦争開戦まで」の解説
仮称艦名、第4号中型巡洋艦。1934年(昭和9年)3月10日、日本海軍は建造予定の二等巡洋艦を『熊野』と命名し、艦艇類別等級表に類別された。4月5日、川崎重工業神戸造船所にて起工。 1936年(昭和11年)10月15日、伏見宮博恭王、永野修身海軍大臣列席のもとに進水。呉海軍工廠で製造された熊野用15.5cm三連装砲塔5基は、給油艦知床が呉から神戸へ輸送した。12月7日、神戸川崎造船所に熊野艤装員事務所が設置された。 1937年(昭和12年)7月上旬、熊野は神戸川崎造船所から呉海軍工廠へ移動、艤装員事務所も移転した。8月8日、熊野艤装員事務所を神戸川崎造船所に戻す。9月下旬から10月上旬にかけて、艤装員事務所を呉海軍工廠に移転。10月9日、艤装員事務所を神戸に戻す。10月31日就役。その姿は一般にも公開された。同型艦の鈴谷と同日の竣工だった。 1937年(昭和12年)12月1日、最上型巡洋艦4隻(最上、三隈、鈴谷、熊野)で第七戦隊が編制され、熊野は旗艦となった。12月6日、将旗を本艦に掲げた。 1939年(昭和14年)5月20日に予備艦に指定され、15.5cm3連装主砲を20.3cm連装砲塔に換装する工事が行われた。11月15日に第七戦隊が再編され、熊野は再び旗艦になった。 1940年(昭和15年)10月11日、第七戦隊と第八戦隊の重巡5隻(熊野、鈴谷、最上、利根、筑摩)は紀元二千六百年特別観艦式に参加した。第七戦隊は司令官栗田健男少将、第一小隊に熊野、鈴谷、第二小隊に三隈、最上の編制で1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争の開戦を迎えた。
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