建軍段階
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:45 UTC 版)
「ドイツ海軍 (ドイツ連邦軍)」の記事における「建軍段階」の解説
新しい海軍の基礎概念については、アメリカ合衆国海軍の海軍歴史チーム(NHT)にて1949年から1952年にかけて既に確立されていた。1949年のドイツ連邦共和国(西ドイツ)の建国直後にコンラート・アデナウアー連邦首相は海軍の再建について米国海軍歴史チームと秘密審議を行い、米国海軍歴史チームはこれらの事項について同意する。ヒンメロート覚書の拘束後に米国海軍歴史チームは同覚書を追補する。内容は新海軍について人員15,000人から20,000人の規模の範囲内で、掃海艇、高速艇、追跡艇および水雷艇など小型艦艇を主体になっていた。さらに、24隻の小型潜水艦に海軍航空隊の保有も視野に入る。欧州防衛共同体の枠組みにおけるドイツ海軍分担計画では過小な戦力と装備が予定されていた。計画当初は現役兵11,500人と予備役兵12,000人だけで構成される予定であり、最大級の部隊は輸送部隊で、潜水艦や航空機は含まれなかった。西ドイツ側はこの所要量を不十分とみなした。 1954年に欧州防衛共同体構想が頓挫し、ドイツの海軍再軍備については北大西洋条約機構において引き続き交渉される。欧州連合軍最高司令部は1955年7月6日付の書簡(最高司令部参謀長コンラード・スカイラー米陸軍中将によるいわゆるスカイラー要領のこと)で、それまで曖昧であった海軍の責任と給与に基準を与え、新生ドイツ海軍はそれに拘束されることになる。 北海・バルト海の入り口やキール運河に接近する敵海軍に対する拒止行動。 最も想定されるソビエト連邦海軍の活動を可能な限りバルト海近接部にて停止させる。 ドイツ・バルト海沿岸域とデンマーク島嶼部などでの連合防衛への参加。 ドイツ沿岸域で連合軍向け海洋通信と隣接海域の維持に貢献。 これらの任務のために小型護衛艦18隻、輸送艦艇10隻、掃海艇など54隻、高速艇40隻、潜水艦12隻、海軍用航空機58機が必要と判断された。 1955年11月12日に西ドイツは旧ドイツ軍の伝統を継承しない新たな軍事組織としてドイツ連邦軍を創設し、1956年1月2日にドイツ連邦軍の海洋戦力としてドイツ連邦海軍が建軍され、旧海軍要員の再教育がヴィルヘルムスハーフェンで開始される。同年3月1日付けで海軍総監が任命され、手始めに陸上の官庁組織を整備する。連邦軍の独立軍種として確立し他の軍種では多数の人員が配分されていたが、前述の通り連邦海軍は旧ドイツ海軍の人員をとり込みつつ再生を開始した。
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