北海・バルト海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:22 UTC 版)
詳細は「ヴァイキング」および「en:Baltic Slavic piracy」を参照 バイキングはノルマン人の事で、8世紀から12世紀にかけて、ヨーロッパの各地を侵略し、席巻した。一部はスコットランドや北イングランドに入植し、またフランスを襲った一派はノルマンディー公国を、ロシア(ルーシ)ではノヴゴロド公国とキエフ大公国、南イタリアではシチリア王国を立てた。その活動はスケールが大きく、グリーンランド、果ては北米にまでに達し植民地を作り、十字軍(ノルウェー十字軍)にも参加した。 中世の終わり頃のバルト海沿岸部は、経済が発展して都市、交易所などが建設されていた。そこではスラブ人、ゲルマン人等の海賊が略奪をおこなった。そのため海賊行為の被害者であるハンブルク市とリューベック市の商人たちは1241年に「ハンザ同盟」と呼ばれる同盟を作成した。 1293年その同盟には北海、バルト海等に位置する24都市が参加した。最盛期である14-15世紀には数百の都市が同盟に参加するようになった。しかしハンザ同盟の船乗りたちは海賊行為の魅力に影響されて彼ら自身も海賊になって行き、14世紀後半に賑わいを見せたイギリスの貿易業に打撃を与えた。13-14世紀のバルト海にはフィタリエンブリューダーと呼ばれる海賊団が存在した。彼らはスウェーデンの南部に位置するゴットランド島を基地とした。彼らはハンザ同盟の依頼で食物の補給を行っていたが、次第に同盟の船舶を略奪するようになった。この海賊団の影響で幾つかの漁業は麻痺した。 そのためスウェーデン女王マーガレットがリチャード2世の援助のもとで海賊退治の遠征を行ったが、これは失敗した。1394年、ハンザ同盟は3000人の兵士を乗せた35隻の軍艦を海賊退治のために派遣したが、これも成功はしなかった。1400年/1402年、ユトレヒトのシモンと言う人物が率いる艦隊が海賊団を率いるステルテベカー(英語版)を捕らえた。彼はハンブルクで100人の部下と共に処刑され、海賊団は翌年には制圧されていった。14世紀にこの辺りを荒らした海賊にゴデキンス、ステルテベカー、モルトケ、マントイフェルなどがいる。
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