キール運河とは? わかりやすく解説

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キール‐うんが【キール運河】

読み方:きーるうんが

ノルトオストゼー運河


キール運河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 06:33 UTC 版)

キール運河
キール運河の位置
特長
閘門 0
現状 開業中
歴史
建設開始 1887年
完成 1895年
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キール運河(キールうんが、ドイツ語Kiel‐Kanal)は、ユトランド半島を根元のドイツ北部シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州で横断し、北海バルト海を繋ぐ運河。正式名称は北海バルト海運河Nord‐Ostsee‐Kanal)。

長さ98 km、幅102 m、水深11 mである。北海とバルト海の海面の間に高度差は少ないが、潮の満ち干に対応するために閘門(こうもん)が運河の両端にある[1]

歴史

1895年のキール運河
現在のキール運河の閘門

最初に北海とバルト海を繋いだのは、アイダー運河 (Eiderkanal) である。アイダー川を拡張し2つの海を結んだもので、1784年に完成した。しかし、この運河は幅29メートル、深さ3メートルの規模しかなく、通航できる船が喫水の浅い船のみに制限されていた。

1887年には、バルト海沿いの軍港キールと北海(エルベ川河口)に面したブルンスビュッテル英語版とを結ぶ新運河「キール運河」の建造が開始され、1895年に完成した。その後、1907年と1914年に拡張された。現在では、スエズパナマ両運河と並ぶ世界三大運河の一つに数えられる国際運河である[2]

1919年のヴェルサイユ条約第380条で、この運河はドイツの主権下にはおかれるものの、すべての国の商船に通航権があたえられるとして国際運河となり、1923年の常設国際司法裁判所によるウィンブルドン号事件判決でも追認された。しかし、ヒトラー政権が成立した後の1936年に破棄され、ドイツが閉鎖的に活用することとなった。現在、ドイツ連邦共和国ではこの運河を国際運河として、広く世界各国に開放している[3]

脚注

  1. ^ 北海とバルト海を結ぶキール運河とハンブルク | 地球が見える | JAXA 第一宇宙技術部門 地球観測研究センター(EORC)”. www.eorc.jaxa.jp. 2025年2月13日閲覧。
  2. ^ 北海とバルト海を結ぶキール運河とハンブルク | 地球が見える | JAXA 第一宇宙技術部門 地球観測研究センター(EORC)”. www.eorc.jaxa.jp. 2025年2月13日閲覧。
  3. ^ 小項目事典, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典. “ノルトオストゼー運河(ノルトオストゼーウンガ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年2月13日閲覧。

外部リンク

座標: 北緯53度53分 東経9度08分 / 北緯53.883度 東経9.133度 / 53.883; 9.133




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