第百一戦隊司令官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 22:35 UTC 版)
第百一戦隊は日本海軍最初の船団護衛専門部隊で、危機的状況にあった海上交通確保の任に当たる部隊である。それまで護衛部隊司令部と護衛艦艇は臨時編成であったが、海上護衛総隊の専門部隊創設要求により設けられ、旗艦「香椎」のほか海防艦6隻で構成されていた。1944年(昭和19年)12月にヒ85船団の日本からサンジャックまでの護衛に成功。折り返し1945年(昭和20年)1月、タンカー4隻、貨物船6隻から成るヒ86船団の護衛にあたるため、百一戦隊はサイゴンで船団と合流した。この船団は米国のフィリピン上陸作戦を援護するハルゼー部隊の航空攻撃を受け、海防艦3隻を残し壊滅。渋谷は戦死した。日本はこの日1日で船舶33隻、艦艇13隻を失った。 <水雷長を務めた艦> 駆逐艦・海風 防護巡洋艦・利根 軽巡洋艦・球磨 軽巡洋艦・鬼怒 <艦長を務めた駆逐艦> 刈萱 波風 電
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