第百七号哨戒艇としてとは? わかりやすく解説

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第百七号哨戒艇として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 16:39 UTC 版)

ジェネシー (艦隊曳船)」の記事における「第百七号哨戒艇として」の解説

自沈したジェネシーは、日本海軍の手引き揚げられた。復旧工事の後、1944年4月20日第百七号哨戒艇命名哨戒艇類別本籍佐世保鎮守府定められる第三南遣艦隊附属編入。しかし、何分沈没していた上に老朽艦だった故、艇籍編入後も各種工事改修乗組員教育が行われた。10月に一応の工事終わり10月13日臨戦準備傍ら公試運転施行したが舵の動作不良のため2日間で終わり、再び工事が行われた。工事終了後10月28日引き渡しが行われ、正式に就役した。10月29日軍隊区分北菲部隊第一掃蕩隊に配置その後多号作戦支援のためマニラ湾出動し対潜哨戒行った11月5日朝、第百七号哨戒艇引き続き多号作戦支援任務中、ルバング島沖で第38・3任務群のF6Fヘルキャット16機の攻撃を受け、爆雷庫や烹炊所などに被弾し炎上航行不能となったその後、第53駆潜艇応援得て消火し夜を徹して応急修理務めた後、人力操舵によってマニラ向かったが、翌6日朝、SB2Cヘルダイバー6機の攻撃を受け、艦橋機関室被弾して全艇が炎上し北緯14度23東経12025分 / 北緯14.383度 東経120.417度 / 14.383; 120.417の地点沈没した第百七号哨戒艇長 山田常三 大尉:1944年6月15日 - 1944年11月6日 戦死同日任海少佐

※この「第百七号哨戒艇として」の解説は、「ジェネシー (艦隊曳船)」の解説の一部です。
「第百七号哨戒艇として」を含む「ジェネシー (艦隊曳船)」の記事については、「ジェネシー (艦隊曳船)」の概要を参照ください。

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