第百二十九国立銀行が起源
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「大垣共立銀行」の記事における「第百二十九国立銀行が起源」の解説
大垣共立銀行は1896年(明治29年)3月に設立を免許され、4月に開業した。初代頭取は旧大垣藩藩主戸田氏ゆかりの士族で大垣藩家老の家系の 戸田鋭之助である。(後に正五位勲五等、大垣商工会議所会頭を務め、朝鮮総督府の要職等に就く)1878年(明治11年)12月に秩禄処分によって交付された国債の運用先を求めていた大垣藩士を中心に創立された第百二十九国立銀行の営業を実質継承したものである。名称は、株主に旧大垣藩士族の士族と西濃各郡の地主の平民が協力して発足したので、「共立」とした。明治の前期、岐阜県内には6行の国立銀行が設立されたが、現存しているのは大垣共立銀行と十六銀行(第十六国立銀行)の2行のみである。
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