ヒ85船団・ヒ86船団とは? わかりやすく解説

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ヒ85船団・ヒ86船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 04:29 UTC 版)

鵜来 (海防艦)」の記事における「ヒ85船団・ヒ86船団」の解説

詳細は「ヒ85船団」を参照 12月19日、第101戦隊香椎来、大東対馬23号27号、51号)は増援艦艇と共に陸軍特殊船神州丸等を含むヒ85船団護衛して六連出撃した。ヒ85船団部隊23日夜に高雄港外に到着したが、米軍機部隊来襲可能性があり洋上退避した12月25日午後台湾高雄港入港した。ここで陸軍特殊船4隻(日向丸青葉山丸吉備津丸神州丸)の護衛第三十一戦隊海防艦三宅能美等が引き継ぎ陸軍特殊船ルソン島分遣船団タマ38船団となってフィリピンルソン島むかったかわりにタンカー貨物船ヒ85船団加入し大規模船団となった27日ヒ85船団部隊高雄出航した28日船団部隊より対馬と帝北丸が分離先行して海南島へむかう。29日船団部隊掃海艇101号合流した1945年昭和20年1月1日未明海南島楡林でPB4Y哨戒爆撃機空襲をうけた僚艦対馬は、至近弾で浸水被害をうける。対馬応急修理のため香椎等と分離し同地残った1月4日ヒ85船団部隊ベトナムサン・ジャック泊地到着した詳細は「グラティテュード作戦」および「ヒ86船団」を参照 サンジャック停泊中に船団の編成替えおこなわれ、第101戦隊内地へ戻るタンカー貨物船護衛することになった1月9日、第101戦隊香椎来、大東23号27号、51号)はヒ86船団護衛してサン・ジャック泊地出発した同時期、ハルゼー大将率いアメリカ海軍機動部隊は、レイテ沖海戦取り逃がした航空戦艦2隻(日向伊勢)を仕留めるため、バシー海峡突破して南シナ海侵入するハルゼー提督は、日本艦隊仏印カムラン湾にいると推定していた。ところが航空戦艦2隻を含む第二遊撃部隊志摩艦隊)は、空襲懸念してシンガポール方面リンガ泊地後退していた。そこでハルゼー提督仏印方面行動中の日本軍輸送船団目標変更する1月12日朝より、アメリカ海軍機動部隊ヒ86船団部隊対す攻撃開始した加入船舶全滅し護衛部隊も3隻(香椎、第23号、第51号)が沈没、3隻(来、大東27号)が小破した。香椎では渋谷司令官を含め乗組員大部分戦死来は香椎生存者7名を救助した13日から14日にかけて、残存3隻は海南島楡林到着したこの頃第38任務部隊香港高雄分散していたヒ87船団攻撃していた。16日空母エセックスより攻撃隊約30機が海南島楡林飛来する空襲大東小破したが、対馬をふくめた各艦の対空射撃により、F4U コルセアを1機撃墜した20日まで、来は海南海軍工作部応急修理おこなった21日午前3時ユタ15船団部隊対馬来、大東27号、帝北丸、明島丸)は楡林出発する。泗礁山と青島経由して2月7日大東湾着。 26日昼、ユタ15船団部隊南日島現在の福建省莆田市秀嶼区)に立ち寄り吉備津丸合流した。翌27日朝、出航2月10日ユタ15船団部隊北九州門司到着して解散した来は佐世保移動し13日から佐世保海軍工廠修理をおこなう。20日、出渠した。

※この「ヒ85船団・ヒ86船団」の解説は、「鵜来 (海防艦)」の解説の一部です。
「ヒ85船団・ヒ86船団」を含む「鵜来 (海防艦)」の記事については、「鵜来 (海防艦)」の概要を参照ください。

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