ヒ79船団・ヒ80船団
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「鵜来 (海防艦)」の記事における「ヒ79船団・ヒ80船団」の解説
北九州回航後の10月26日、給糧艦間宮等をふくむヒ79船団を護衛し、門司を出撃する。第五護衛船団司令官吉富説三少将が指揮するヒ79船団の護衛部隊は、練習巡洋艦香椎、海防艦(鵜来、能美、第17号)、平島型敷設艇(新井埼)、第21号掃海艇であった。 10月29日夜、めるぼるん丸はヒ79船団から分離して台湾基隆にむかった。10月30日-31日、台湾高雄滞在中にヒ79船団より3隻(間宮、香久丸、第21号掃海艇)が分離し、3隻(海防艦満珠、タンカー黒潮丸、良栄丸)が加入した。護衛艦艇(香椎、鵜来、能美、満珠、第17号、新井埼)で高雄を出撃する。11月8日深夜、ヒ79船団はシンガポールに到着した。 シンガポール停泊中の11月15日、日本海軍は第一〇一戦隊(司令官渋谷紫郎海軍少将、兵44期)を新編した。第101戦隊は海上護衛総司令部部隊に編入された。新編時の第101戦隊は、練習巡洋艦香椎、海防艦6隻(対馬、大東、鵜来、第23号、第27号、第51号)という戦力であった。なお第101戦隊新編時点で渋谷少将は内地におり、引き続き吉富少将が香椎より船団部隊を指揮した。 11月17日夕刻、ヒ80船団部隊はシンガポールを出発した。ヒ80船団は、香椎(吉富少将旗艦)以下9隻(新井崎、能美、鵜来、満珠、三宅、笠戸、第17号海防艦、第23号海防艦、第51号海防艦)に護衛されていた。20日、ヒ80船団部隊より第十七号海防艦が分離し、サンジャックにむかった。28日、ヒ80船団部隊より3隻(新井埼、良栄丸、有馬山丸)が分離し、馬公経由で台湾高雄にむかった。12月2日早暁、ヒ80船団部隊は北九州六連島に到着した。12月3日、ヒ80船団部隊は北九州港に到着して任務を完了した。鵜来や護衛艦は佐世保港に移動して、修理や整備をおこなう。 12月10日、第一海上護衛隊は解隊され、あらたに第一護衛艦隊(司令長官岸福治海軍中将、兵40期)が新編された。第101戦隊も同艦隊に編入された。
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