ヒ79船団・ヒ80船団とは? わかりやすく解説

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ヒ79船団・ヒ80船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 04:29 UTC 版)

鵜来 (海防艦)」の記事における「ヒ79船団・ヒ80船団」の解説

北九州回航後の10月26日給糧艦間宮等をふくむヒ79船団護衛し門司出撃する第五護衛船団司令官吉富三少将が指揮する79船団護衛部隊は、練習巡洋艦香椎海防艦来、能美第17号)、平島型敷設艇新井埼)、第21号掃海艇であった10月29日夜、めるぼるん丸はヒ79船団から分離して台湾基隆むかった10月30日-31日台湾高雄滞在中に79船団より3隻(間宮香久丸第21号掃海艇)が分離し、3隻(海防艦満珠タンカー黒潮丸良栄丸)が加入した護衛艦艇(香椎来、能美満珠第17号新井埼)で高雄出撃する11月8日深夜、ヒ79船団シンガポール到着したシンガポール停泊中の11月15日日本海軍第一〇一戦隊司令官渋谷紫郎海軍少将兵44期)を新編した。第101戦隊海上護衛総司令部部隊編入された。新編時の101戦隊は、練習巡洋艦香椎海防艦6隻(対馬大東来、第23号、第27号、第51号)という戦力であった。なお第101戦隊新編時点渋谷少将内地におり、引き続き吉富少将香椎より船団部隊指揮した11月17日夕刻、ヒ80船団部隊シンガポール出発した。ヒ80船団は、香椎吉富少将旗艦)以下9隻(新井崎、能美来、満珠三宅、笠戸、第17号海防艦、第23号海防艦、第51号海防艦)に護衛されていた。20日、ヒ80船団部隊より第十七号海防艦分離しサンジャックむかった28日、ヒ80船団部隊より3隻(新井埼良栄丸有馬山丸)が分離し馬公経由台湾高雄むかった12月2日早暁、ヒ80船団部隊北九州六連島到着した12月3日、ヒ80船団部隊北九州港到着して任務完了した来や護衛艦佐世保港移動して修理整備をおこなう。 12月10日第一海上護衛隊解隊され、あらたに第一護衛艦隊司令長官岸福治海軍中将、兵40期)が新編された。第101戦隊も同艦隊編入された。

※この「ヒ79船団・ヒ80船団」の解説は、「鵜来 (海防艦)」の解説の一部です。
「ヒ79船団・ヒ80船団」を含む「鵜来 (海防艦)」の記事については、「鵜来 (海防艦)」の概要を参照ください。

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