兵44期
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1916年(大正5年)に兵学校を卒業した兵44期(兵学校卒業時95名)の柳本柳作(大佐で戦死、少将に進級)は、兵学校卒業席次は30番程度だったが、少尉候補生時代に、夜も寝ずに昼間は出来ない勉強に励む(森史朗は、昼間に、椅子に座ったまま、あるいは当直に立ったままでも仮眠できる方法を会得したのだろうと述べている)、少尉時代に、東京から横須賀までの72キロを徹夜で歩き通すと言った超人的な体力を持ち、職務に精励した結果、ハンモックナンバーを4 - 5番まで上げ、中尉だった1921年(大正10年)に、皇太子(のちの昭和天皇)渡欧の際に随員に選ばれた。これは、ガンルーム士官として最高の名誉であった。 秦郁彦編著 『日本陸海軍総合事典 第2版』 によると、柳本の兵学校卒業席次は21番。兵44期の卒業席次上位者は、3番が西田正雄大佐、6番が島本久五郎少将。兵学校卒業席次3番の西田、6番の島本、21番の柳本は、いずれも1937年(昭和12年)12月に大佐に進級しており、柳本は兵44期の先頭組に入っている。一方、兵学校卒業席次4番の湊慶譲少将は、大佐進級の時点で、柳本を含む兵44期の先頭組より1年遅れている。
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