兵55期
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1927年(昭和2年)3月に兵学校を卒業した兵55期(兵学校卒業時120名)の小泉義雄中佐の卒業席次は104番であった。小泉は兵55期の先頭組(同期生の約半数)として1939年(昭和14年)11月15日に少佐へ進級した。さらに、兵55期の先頭組は1943年(昭和18年)11月1日に中佐に進級したが、小泉は、それに続く2番手として、先頭組に6か月遅れる1944年(昭和19年)5月1日に中佐に進級した。小泉が、兵学校を卒業してからの17年間で、かなりハンモックナンバーを上げていたことが分かる。 小泉は、大尉であった1937年(昭和12年)7月11日、第二次上海事変の勃発の直後に、呉鎮守府第一特別陸戦隊中隊長に補され、8月17日に上海付近に敵前上陸して、上海特別陸戦隊司令官の大川内傳七少将の指揮下に入り、200名の兵員を指揮して中国軍と戦った(第二次上海事変)。小泉は、陸戦隊の全体会議で、大川内少将からじかに激賞された。 『ある海軍中佐一家の家計簿』を上梓した小泉昌義(小泉の三男)は、小泉の少佐進級について「兵学校卒業席次からいうと、小泉は次回まわしになって当然であったが、何と言っても、上海事変での武勲がものを言ったのだろう」という趣旨を述べている。
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