兵37期
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兵37期(卒業時179名)は、帝国海軍の歴史を通じて唯一、同期生が揃って少尉任官しなかったクラスである。兵学校卒業席次2番であった井上成美を最先任者とする兵37期137名が1910年(明治43年)12月15日に少尉任官し、兵37期の残る約1/4は約3か月遅れの1911年(明治44年)2月27日に少尉任官した。中尉への進級では、同期生が揃って進級する通常の形に戻った。 同期生が揃って少尉任官しないという異例の措置は、当時「国家予算の都合により」と説明された。後年になって、兵37期が乗組んだ練習艦隊の司令官だった伊地知彦次郎少将が 斎藤実海軍大臣に宛てた意見書の存在が判明した。その意見書には「37期の候補生の後半(席次下位者)は、練習航海中の 勤務 ・成績共に不良。彼らの反省を促すため、37期候補生の後半の任官を半年遅らすべし」と書かれていた。 兵学校卒業席次が1番であった小林万一郎(1922年(大正11年)、少佐の時に病没)は、病気のため任官3か月遅れ組に入り、ハンモックナンバーが138番以下に下がった。よって、少尉任官以降は、井上が兵37期のクラスヘッドとなった。 兵37期の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年、49-50頁。
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