歴史を通じて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 04:12 UTC 版)
Template:キリスト論ラオディケイアのアポリナリオスが初めてヒュポスタシスの語を使って受肉を理解しようとした。アポリナリオスはキリストの神性と人性の結合を一つの本性に一つの実体―一つのヒュポスタシス―を持つものとして表した。 ネストリオス派の モプスエスティアのテオドロスは別方向に進み、キリストにおいては二つの本性(神性と人性)、二つのヒュポスタシス(「実体」つまり「位格」の意味で)が共存すると主張した。 カルケドン信条ではテオドロスに同意して受肉における二つの本性の存在が認められた。しかし、カルケドン公会議では三位一体の定義に用いられるときと同様の用法でヒュポスタシスの語が用いることが主張された。つまり、ヒュポスタシスを位格の意味で使い、アポリナリオスの使ったような本性という意味では使わないことが主張された。 そのため、カルケドン公会議では、キリストにおいて二つの本性が存すること、二つの本性がそれぞれの特性を保持していること、唯一の位格、唯一の自立存在(εἰς ἓν πρόσωπον καὶ μίαν ὑπόστασιν, eis hèn prósōpon kaì mían hypóstasin)において合一すること、が宣言された。 この合一の精確な本性は人間の限定的な理解を受け付けず、位格的結合は「神秘的な合一」と呼ばれることもある。アレクサンドリアのキュリロスは「名状し難く、理解を超えたかたちで合一した」と表現している。 カルケドン信条を否定している東方諸教会は、受肉した子は一つの本性のみを有するという定義を採用しているという特徴を持つため単性論として知られている。カルケドン信条の「二つの本性において」という明文化(少なくとも部分的にはColossians 2:9に基づいている)はネストリオスはキリスト論に由来・類似している。これに対して、東方諸教会はエウテュケス派単性論に近づく傾向にあるとカルケドン派にはみなされている。しかし、東方諸教会は、決してエウテュケスの教説を信じていないこと、キリストの人性はそれ自体として変化しないと常に主張してきたこと、そのため自分たちの教説をキリスト論に関するキュリロスの言葉("μία φύσις τοῦ θεοῦ λόγου σεσαρκωμένη", "mía phýsis toû theoû lógou sesarkōménē")に由来して一性論(もしくは合性論)と呼ぶことを好んでいることを近年のエキュメニカルな対話において明言している 近年では東方正教会と東方諸教会の指導者たちが再合同のための活動において共同声明に署名している。
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