作戦命令の発出とは? わかりやすく解説

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作戦命令の発出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:35 UTC 版)

宇垣纏」の記事における「作戦命令の発出」の解説

1945年昭和20年8月3日それまで鹿屋基地にいた宇垣は、第五航空艦隊幕僚と共に大分基地移転した8月11日宇垣は七〇一海軍航空隊佐藤大尉に艦上爆撃機彗星」の稼動機数を尋ね11機という返答得た際に「5機もあれば」とつぶやいた8月14日深夜23時37分)、海軍総司令長官小沢治三郎中将兵37期)より、「対ソ」「対沖縄」の積極攻撃中止する命令が発せられた。 8月15日日付変わった頃、宇垣は「彗星」5機で沖縄方面敵艦船を攻撃するよう、第五航空艦隊司令部当直参謀であった作戦参謀田中正少佐(兵59期)に命じた長官自らが特攻するつもりではないか、と直感した田中作戦参謀から報告受けた第五航空艦隊先任参謀宮崎隆大佐(兵52期)が宇垣真意尋ねると、宇垣下記のように答えた。 「俺が乗って行くのだ。すぐに攻撃準備整えてくれたまえ。」 宮崎先任参謀宇垣再考求めたが、宇垣は肯んじなかった。宮崎先任参謀によると、宇垣は「普段見せない穏やかな表情」だったという。 第十航空戦隊司令官城島高次少将(兵40同期生)、第五航空艦隊参謀長横井俊之少将(兵46期)の2名が駆けつけ、「死を決せられる気持ち理解できるが、戦後処理や、国家的な責任問題もあるため、なんとかとりやめることはできないか」などと繰り返し翻意促したが、宇垣は 「正式な停戦命令受けていない。戦闘はなお継続中である。」 「武人として、俺に死場所を与えてくれ。必勝信じて喜んで死んで行った多数部下のもとへ、俺もやらせてくれ。」 と、その決意揺らぐことはなかった。 8月15日の夜が明けた後、宇垣意志固い判断した宮崎先任参謀は、作戦命令起案発出した。 七〇一空分派遣隊は、艦爆五機を以って沖縄敵艦隊を攻撃すへし。本職これを直率す。 — 第五航空艦隊司令長官 海軍中将 宇垣纏正午宇垣たちは大分基地号令台に設置されラジオ前に整列して玉音放送聞いた雑音多く良く聞こえなかったが、戦争終わったことは察することができた。 その後宇垣は 「未だ停戦命令接せず多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻精神生きんとするに於て考慮余地なし」 「余又楠公精神を以て永久に尽くところあるを期す一六〇〇幕僚集合別杯待ちあり。之にて本戦録の頁を閉ず」 と、戦藻録最後記した

※この「作戦命令の発出」の解説は、「宇垣纏」の解説の一部です。
「作戦命令の発出」を含む「宇垣纏」の記事については、「宇垣纏」の概要を参照ください。

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