横井俊之とは? わかりやすく解説

横井俊之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 23:29 UTC 版)

横井 俊之
生誕 1897年明治30年)3月11日
日本愛知県
死没 1969年昭和44年)12月23日
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1919年 - 1945年
最終階級 海軍少将
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横井 俊之(よこい としゆき、1897年明治30年)3月11日 - 1969年昭和44年)12月23日)は、日本海軍軍人。最終階級海軍少将

経歴

愛知県出身。陸軍軍医監・横井俊蔵の三男として生まれる。愛知一中を経て、1918年11月、海軍兵学校46期)を卒業し、翌年8月、海軍少尉任官。1922年12月、霞ヶ浦海軍航空隊航空術学生を卒業。1924年12月、霞ヶ浦航空隊分隊長となり、横須賀海軍航空隊付、「加古」「能登呂」の各乗組などを経て、1930年11月、海軍大学校(甲種28期)を卒業した。

以後、第2艦隊参謀、横須賀航空隊教官、同飛行隊長、連合艦隊参謀などを歴任し、1935年11月、海軍航空本部教育部員に就任。第3艦隊参謀、支那方面艦隊参謀、第1航空戦隊参謀、横須賀航空隊飛行長、海大教官、第十四航空隊司令などを歴任し、1940年11月、海軍大佐に進級。

太平洋戦争横浜海軍航空隊司令として迎えた。その後、横須賀航空隊副長、「飛鷹艦長呉鎮守府付、第25航空戦隊司令官第5航空艦隊参謀長などを経て、1945年5月、海軍少将に進級。同年10月、予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」98頁。
  2. ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。




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