中西一郎とは? わかりやすく解説

中西一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 20:00 UTC 版)

中西一郎
なかにし いちろう
生年月日 1915年3月29日
出生地 兵庫県神戸市
没年月日 (1992-11-18) 1992年11月18日(77歳没)
出身校 東京帝国大学法学部法律学科
前職 国家公務員農林省
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
法学士

内閣 第2次中曽根内閣
在任期間 1983年12月27日 - 1984年11月1日

内閣 第2次中曽根内閣
在任期間 1983年12月27日 - 1984年6月30日

選挙区 兵庫県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1972年 - 1992年7月7日
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中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本政治家官僚参議院議員(4期)。総理府総務長官(第31代)兼沖縄開発庁長官(第14代)。

来歴・人物

兵庫県神戸市生まれ。第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後[1]農林省に入省。海軍に志願し海軍大尉として終戦。

農林大臣秘書官(事務担当)、大臣官房企画室長、食糧庁業務第二部長、農林省官房長を経て、1965年経済企画庁国民生活局長。

1972年佐野芳雄の死去に伴う第8回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区補欠選挙に出馬し初当選。

1975年、公職選挙法改正に関する特別委員長在任中に問責決議が提出されるが、否決[2]

1978年第1次大平内閣通商産業政務次官

1983年第2次中曽根内閣総理府総務長官沖縄開発庁長官に就任し、初入閣。1984年7月、総務庁発足に伴い最後の総理府総務長官となった。総務庁長官には同じく総務庁発足で廃止された行政管理庁長官後藤田正晴が就任し、中西は沖縄開発庁長官のみの在任となる。

1992年11月18日死去、77歳。死没日をもって従七位から従三位に叙され、銀杯一組を賜った[3]

栄典

脚注

  1. ^ 『参議院要覧,第3部』参議院事務局、1986年発行
  2. ^ 第75回国会 参議院 本会議 第22号 昭和50年7月4日
  3. ^ 『官報』第1050号9-10頁 平成4年12月4日
  4. ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊
議会
先代
橘直治
参議院公職選挙法改正に関する特別委員長
1974年 - 1976年
次代
神田博
公職
先代
丹羽兵助
沖縄開発庁長官
第14代:1983年 - 1984年
次代
河本敏夫
先代
丹羽兵助
総理府総務長官
第31代:1983年 - 1984年
次代
廃止




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