中西一男とは? わかりやすく解説

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中西一男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 09:38 UTC 版)

中西 一男(なかにし かずお、1922年10月4日 - 2003年9月1日)は、日本ヤクザ指定暴力団・五代目山口組最高顧問(四代目山口組組長代行)、四代目山口組舎弟頭。中西組初代組長。

経歴

大学卒業後、戦後大阪 ミナミで最大の勢力を持っていた愚連隊の南道会に所属した。南道会会長・藤村唯夫が三代目山口組組長・田岡一雄の舎弟となったことから山口組傘下に入り、1963年に他の南道会幹部数人と共に山口組直参に昇格した。

推挙されて直参となった中西はほどなく、1968年に若頭となった梶原清晴のもとで、若頭補佐の要職に就いた。以降、山本健一若頭のもとでも若頭補佐を引き続き務め、1980年大阪戦争では、中西組が二代目松田組組長を攻撃し、武闘派として名を馳せた。

田岡・山本が相次いで亡くなり、跡目争いで一和会が袂を分かつが、中西は竹中正久を四代目に推して山口組に残り、後の竹中四代目体制下では、舎弟頭として組を支えた。 1984年に竹中らとともにNHKインタビューに答えており、その模様が8月27日にNHK特集『山口組ー知られざる組織の内幕ー』として放送された。 1985年、抗争で竹中が殺害されると、組長代行に就任して、山一抗争下での山口組の最高責任者として舵取りをした。

山一抗争が終結すると、五代目に推す声もあったが、若頭・渡辺芳則(当時)と直接意見調整し、最高顧問に就任。2003年9月、肝不全により死去した。享年80。

ヤクザにして大卒、刺青無し、逮捕歴さえない稀有な経歴の持ち主として、マスコミで取り上げられた。

先代
中西組組長
初代: 19**-2003
次代
布川皓二



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