ジュテーム事件
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1950年代後半以降、小松島抗争、明友会事件、夜桜銀次事件等の抗争を通して神戸から日本全国に侵攻した山口組を支えていた組織力と経済力は、警察の「第一次頂上作戦」によって大きな打撃を受けていた。 1975年7月26日深夜、豊中市の喫茶店「ジュテーム」において松田組系溝口組の集団が、先にいた溝口組幹部と面談中の山口組系佐々木組(組長・佐々木道雄[要曖昧さ回避])の組員3人を射殺、1人に重傷を負わせた。この背景には佐々木組内徳本組の構成員が大阪キタにある溝口組の賭場で起こしたトラブル(嫌がらせ)があったとされる。 この佐々木組と溝口組の衝突は、一旦は和解しかけるも決裂。同年8月23日に松田組幹部の自宅に銃弾が打ち込まれた直後、佐々木組の本家である神戸の山口組本部に銃撃が行われたことで大阪周辺の山口組勢力も参戦する結果となった。この後、翌9月3日には大阪市南区(後の中央区)の山口組系中西組(組長・中西一男)の組員が松田組系村田組の大日本正義団組員に射殺されている。 この混乱に山口組の組長・田岡一雄は傘下の組織に自重するよう厳命したとされる。
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