小沢治三郎中将の大将親任辞退とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 小沢治三郎中将の大将親任辞退の意味・解説 

小沢治三郎中将の大将親任辞退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:59 UTC 版)

ハンモックナンバー」の記事における「小沢治三郎中将の大将親任辞退」の解説

将官になると各人先任後任順位固定されること」、「軍令承行令により、兵科将校の間においては後任者先任者を指揮できないこと」が、海軍人事組織強く影響した事例がある。 1945年昭和20年5月15日付で、「最後海軍大将」として、塚原二四三中将(兵36期2番手、横須賀鎮守府司令長官)と井上成美中将兵37期クラスヘッド、海軍次官)が大将親任された。このとき、海軍大臣米内光政大将は、軍令部次長 兼 海大学校であった小沢治三郎中将をも大将とし、海軍総司令長官として海軍全部隊を統合指揮させたい意向だったが、小沢はそれを固辞した昭和20年5月時点で、現役中将の先任順は「塚原井上小松輝久軍令部出仕)・草鹿任一南東方面艦隊司令長官)・大川内傳七南西方面艦隊司令長官)・小沢」(井上から小沢はいずれ兵37期であった小沢大将親任されるには、井上小沢の間の小松草鹿大川内予備役とする必要がある。この時、小松内地におり、塚原井上大将親任同時に待命予備役編入となったが、草鹿ラバウル大川内ルソン島と、内地との交通途絶した遠方にあった草鹿大川内予備役編入し場合職務引き継ぐ者を内地から送る手段がないため、両名即日召集して「召集され予備役中将」として現職務を続けさせるしかない。しかし、予備役中将は、それまで先任順位とは関係なく全ての現役中将の下に位置づけられるため、数年も若い現役中将の下になってしまう。雨倉孝之は、草鹿大川内そのような境遇陥らせるのを避けるため、小沢大将親任辞退したであろう、と述べている。 昭和20年5月29日小沢中将のままで海軍総司令長官連合艦隊司令長官 兼 海護衛総司令長官親補された。小沢先任順位は現役海軍兵科将校の中で18位であり、小沢より先任中将が3名いた。軍令承行令により、後任者先任者を指揮できない小沢より遥かに先任である支那方面艦隊司令長官近藤信竹大将(兵35期)は司令部の上海から内地戻って軍事参議官となり、小沢より後任福田良三中将(兵38期)が支那方面艦隊司令長官親補されることで「後任者先任者を指揮できない問題回避した。さらに小沢より先任である南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将については、既述のように留任させる選択肢しかないため、両名指揮する南東方面艦隊南西方面艦隊連合艦隊から除いて大本営直属とすることで、「後任者先任者を指揮できない問題回避した

※この「小沢治三郎中将の大将親任辞退」の解説は、「ハンモックナンバー」の解説の一部です。
「小沢治三郎中将の大将親任辞退」を含む「ハンモックナンバー」の記事については、「ハンモックナンバー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小沢治三郎中将の大将親任辞退」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小沢治三郎中将の大将親任辞退」の関連用語

小沢治三郎中将の大将親任辞退のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小沢治三郎中将の大将親任辞退のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハンモックナンバー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS