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伊地知彦次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 23:40 UTC 版)

伊地知 いぢち 彦次郎 ひこじろう
生誕 1860年1月6日安政6年12月14日
日本薩摩国
死没 (1912-01-04) 1912年1月4日(51歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1883年 - 1912年
最終階級 海軍中将
墓所 青山霊園
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伊地知 彦次郎(いぢち ひこじろう、1860年1月6日安政6年12月14日) - 1912年明治45年)1月4日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

薩摩藩士・伊地知季太の二男として生まれる。明治7年(1874年)10月、海軍兵学寮7期)に入学。明治16年(1883年)に海軍少尉任官。「畝傍分隊長、「鳳翔」分隊長、参謀本部海軍部第2局員、横須賀鎮守府長官伝令使、フランス出張、イタリア公使館イタリア語版付、海軍大学校教官などを経て、日清戦争では「橋立」分隊長として出征した。

その後、「大島」分隊長、「武蔵」副長、呉水雷団水雷艇隊司令、軍令部第1局員、「富士」副長、「龍田艦長海軍省軍務局第2課長、第1駆逐隊司令、常備艦隊参謀長、「松島」艦長などを歴任。日露戦争では、連合艦隊旗艦三笠」艦長として従軍し、東城鉦太郎作の「三笠艦橋の図」にも描かれている(詳しくは東城鉦太郎を参照のこと)。

海軍教育本部第1部長などを経て、明治39年(1906年)11月、海軍少将に進級。兼教育本部第2部長、練習艦隊司令官、将官会議議員などを歴任し、明治43年(1910年)12月、海軍中将となった。馬公要港部司令官、将官会議議員を務め、現職で死去した。墓所は青山霊園(1ロ16-5)。

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

  • 弟・伊地知虎彦(1878-1964) ‐ 液化炭酸社長、太洋海運取締役。東京高商卒業後、三井物産入社、山本条太郎の部下として12年間勤務し、大正5年に神戸海運仲立業を開始、大正6年に三井の石田貞二、広田保らと太洋海運創業し(のち代表)、大正12年液化炭酸創業し、社長。日満亜麻紡績、下村汽船、昭和タンカーの取締役なども務めた。日本における初期ゴルファーとしても活躍した。岳父に仙石貢[22][23][24]
  • 妻・ひろ ‐ 伊地知貞馨の娘[25]
  • 曾孫・伊地知猛 ‐ 軍事雑誌『Jウィング』『J-SHIPS』等を発行しているイカロス出版の創業者であり同社会長。

脚注

  1. ^ 『官報』第183号「叙任」1884年2月12日。
  2. ^ 『官報』第1124号「叙任及辞令」1887年4月2日。
  3. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日
  4. ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
  5. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  6. ^ 『官報』第5232号「叙任及辞令」1900年12月8日。
  7. ^ 『官報』第6744号「叙任及辞令」1905年12月21日。
  8. ^ 『官報』第8251号「叙任及辞令」1910年12月21日。
  9. ^ a b 『官報』第8562号「叙任及辞令」1912年1月8日。
  10. ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
  11. ^ 『官報』第3866号・付録「辞令」1896年5月21日。
  12. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1895年12月18日。
  13. ^ 『官報』第5374号「叙任及辞令」1901年6月4日。
  14. ^ 『官報』第5613号「叙任及辞令」1902年3月25日。
  15. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  16. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  17. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  18. ^ 『官報』第7775号「叙任及辞令」1909年5月28日。
  19. ^ 『官報』第2943号「叙任及辞令」1893年4月25日。
  20. ^ 『官報』第3515号「叙任及辞令」1895年3月22日。
  21. ^ 『官報』第5718号「叙任及辞令」1902年7月26日。
  22. ^ 伊地知虎彦人事興信録 第14版 上、1943
  23. ^ 日本商船・船名考 (ⅩⅩⅩⅩⅨ)(太洋海運の部)松井邦夫、一般社団法人全日本船舶職員協会
  24. ^ 【ゴルフ初物語】Vol.80 昔はアマがプロより格上だった!? 1926年初開催の“オープン”競技でプロの地位が確立Myゴルフダイジェスト、ゴルフダイジェスト社、2022.03.18
  25. ^ 『人事興信録 初版』(人事興信所、1903年)p.25

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
先代
玉利親賢
馬公要港部司令官
第8代:1910年12月1日 - 1911年12月1日
次代
小泉鑅太郎



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