伊地知季清とは? わかりやすく解説

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伊地知季清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/25 20:53 UTC 版)

伊地知 季清(いじち すえきよ、 1854年安政元年〉 - 1905年明治38年〉10月15日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将[1]鹿児島出身[1]

人物

明治4年8月11日、鹿児島藩フランス式編成近衛隊・伍長任官。その後、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て明治10年(1877年)、陸軍少尉任官。明治12年(1879年)、東京鎮台砲兵第一大隊第二中隊中央小隊長を拝命し翌年、教導団砲兵大隊第二中隊中央小隊長となる。以後、野戦砲兵第四連隊第二大隊第二中隊長(大尉)、野戦砲兵第四連隊第二大隊長(少佐)、第二師団参謀、台湾総督府参謀(中佐)、第一師団参謀長(大佐)などを歴任する。明治33年(1900年)、陸軍少将任官と同時に呉要塞司令官となり。後に由良要塞司令官などを務めた。

官歴

栄典・授章・受賞

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官総覧』153頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be 陸軍少将伊地知季清勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112595000 
  3. ^ 『官報』第3194号「叙任及辞令」1894年2月23日。
  4. ^ 『官報』第4335号「叙任及辞令」1897年12月11日。
  5. ^ 『官報』第4339号「叙任及辞令」1897年12月16日。
  6. ^ 『官報』第5042号「叙任及辞令」1900年4月26日。
  7. ^ 『官報』第5648号「叙任及辞令」1902年5月6日。
  8. ^ 『官報』第334号「叙任及辞令」1884年8月8日。
  9. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  10. ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1894年11月5日。
  11. ^ 『官報』第3840号「叙任及辞令」1896年4月21日。
  12. ^ 『官報』第5106号「叙任及辞令」1900年7月11日。
  13. ^ 『官報』第6649号「叙任及辞令」1905年8月28日。
  14. ^ a b 『官報』第6691号「叙任及辞令」1905年10月16日。
  15. ^ 『官報』第762号「叙任及辞令」1886年1月19日。
  16. ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
  17. ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
  18. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1896年4月23日。
  19. ^ 『官報』第4323号「叙任及辞令」1897年11月27日。
  20. ^ 『官報』第6627号「叙任及辞令」1905年8月2日。

参考文献




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