富士 (戦艦)
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富士 | |
---|---|
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基本情報 | |
建造所 | テムズ鉄工所(イギリス・ロンドン)[1] |
運用者 |
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艦種 | 戦艦 |
艦歴 | |
計画 | 明治26年度起業軍艦製造費 |
起工 | 1894年8月1日[1] |
進水 | 1896年3月31日[1] |
竣工 | 1897年8月17日[1] |
除籍 | 1945年11月30日 |
その後 | 1948年解体 |
要目 | |
常備排水量 | 12,533トン |
垂線間長 | 114.0m(374ft) |
最大幅 | 22.3m(73ft) |
吃水 | 8.1m(26ft6in) |
ボイラー | 円缶 10基 |
主機 | 3気筒3段レシプロ2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 13,500馬力 |
速力 | 18.25ノット |
燃料 | 石炭:1,117トン |
航続距離 | 7,000カイリ / 10ノット |
乗員 | 726名 |
兵装 |
30.5cm40口径連装砲2基 15.2cm40口径単装砲10基 47mm単装砲24基 45cm水上魚雷発射管1門 45cm水中魚雷発射管4門 |
装甲 |
ハーベイ鋼 舷側:18in(457.2mm)-14in(355.6mm)[2] 砲塔:14in(355.6mm)-9in(228.6mm)[2] 砲郭:6in(152.4mm)-2in(50.8mm)[2] 司令塔:14in(355.6mm)[2] 甲板:最大4インチ(102mm)[要出典] |
その他 |
信号符字 GQJF(竣工時)[注釈 1] JWXD(1933年12月〜)[3] JFAQ(1941年12月〜)[4] |
富士(ふじ)は[5]、日本海軍の戦艦[注釈 2]。 富士型戦艦の1番艦。日本海軍が初めて保有した近代的戦艦の1隻[7]。 日本海軍の軍艦で最高厚の舷側装甲を持つ(最高457mm。後の大和型戦艦でも410mm厚)。 日露戦争で活躍したが[8]、世代的には前弩級戦艦であり、旧式化により海防艦へ類別変更[9][10]。1922年(大正11年)9月1日、軍艦籍より削除され[11]、運送艦になる[12][8]。間もなく練習特務艦に指定され[13]、以後は練習艦として使用された[注釈 3][注釈 4]。浮き校舎として長く使用されていたが、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月18日、横須賀港でアメリカ海軍空母機動部隊の空襲を受け[19]、大破着底した[注釈 5]。
艦名は日本の最高峰富士山にちなむ[21][注釈 6]。 艦名としては明治初期の軍艦「富士山」に続いて2代目[注釈 7]。3代目は砕氷艦(南極観測船)ふじ。
艦歴
富士型戦艦2隻を含む1891年(明治24年)の軍艦建造予算は、第2回帝国議会で否決された[8]。翌年の第3回議会、第4回議会でも否決され、これに対し明治天皇が自らの宮中費を節約する建艦詔勅を出して、ようやく帝国議会を通過した。本艦はイギリス・ロンドンのテームズ社で建造され、1894年(明治27年)8月1日に起工[8]。 1895年(明治28年)8月18日、日本海軍は建造中の甲号甲鉄戦艦(本艦)を「富士」、乙号甲鉄戦艦を「八島」、甲号報知艦を「宮古」と命名する[6][22]。 1896年(明治29年)3月31日、進水[8]。10月28日、回航事務所を海軍省内に設置[23]。回航委員長は三浦功海軍大佐。回航委員は山本安次郎機関大監、木村壮介軍医大監(のち、海軍軍医総監)、斎藤実少佐、坂本一少佐、岩本耕作少佐、津田三郎少佐、桑原荘吉軍医少監(のち、海軍軍医総監)、但馬惟孝大尉(のち、防護巡洋艦「済遠」艦長となるも戦死[24])、野間口兼雄大尉、富岡延次郎大機関士、瀬戸菊次郎大機関士、兼常猪三大機関士、鳥山頼二大主計、山田昌壽大主計、加藤寛治少尉、中島資朋少尉(のち、戦艦「山城」艦長[25])、吉岡範策少尉、斎藤七五郎少尉、吉松稜威麿少機関士、宮川邦基少機関士という陣容だった[26]。10月29日、本籍を佐世保鎮守府と定められる[27]。
1897年(明治30年)6月14日、竣工に先立って領収し軍艦旗を掲げ[8]、常備艦隊に編入[28]、防護巡洋艦「須磨」に代わって常備艦隊旗艦となる[注釈 8]。これはスピットヘッドで行われるヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式に参加するための処置だった[8]。6月27日、旗艦は富士から戦艦「鎮遠」となった[注釈 9]。8月17日に竣工[8][31]。艦長三浦功海軍大佐の下直ちに日本に回航され、10月31日に横須賀到着[8][注釈 10]。11月1日、警備艦と定められる[注釈 11]。12月20日、常備艦隊に編入[注釈 12]。
1898年(明治31年)3月21日、日本海軍は海軍軍艦及び水雷艇類別標準を制定し、1万トン以上の戦艦を一等戦艦と定義[35]。本艦を含め該当する4隻が一等戦艦に類別された[5][36]。 同年11月19日、明治天皇は神戸沖の常備艦隊を天覧、その際に「富士」は天皇の御召艦となる[37][注釈 13]。
1902年(明治35年)4月1日に本籍を呉鎮守府に変更[39]。7月22日、役務を解かれ第一予備艦扱いとなる[40]。
1903年(明治36年)12月28日、常備艦隊が解隊され、戦艦を中心とする第一艦隊と、巡洋艦を基幹とする第二艦隊が設置される。第一・第二艦隊で連合艦隊(司令長官:東郷平八郎海軍中将)を編成した。富士型戦艦2隻は敷島型戦艦4隻と共に、第一艦隊隷下の第一戦隊に配属される[注釈 14]。
日露戦争では主力戦艦として、旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦(八島と初瀬の喪失)、黄海海戦、日本海海戦と主な作戦に参加した[8]。
1904年7月24、「富士」と「三笠」の艦載水雷艇は大河湾のロシア駆逐艦を雷撃した[42]。「富士」艇の発射した魚雷は1本が「バエヴォーイ」に命中した[42]。
12月15日、「富士」の艦載水雷艇はロシア戦艦「セヴァストーポリ」襲撃に参加した[43]。
1911年(明治44年)10月中旬、明治天皇皇太子(大正天皇)が岐阜県・愛知県・広島県に行啓することになった[44]。10月20日、皇太子は宮島で富士に乗艦した[45][注釈 15]。21日、日向・土佐間の洋上で第一艦隊・第二艦隊・水雷戦隊の演習がおこなわれる[47]。翌日、御召艦は佐伯湾に入港[48]。23日、皇太子は佐伯湾大入島に上陸した[49]。富士に帰艦後、戦艦朝日艦長伏見宮博恭王大佐と会食した[50]。 24日夕刻、富士は広島湾に到着[51][注釈 16]。翌25日、第一艦隊の射撃演習を見学したあと[51]、神戸へ移動する[注釈 17]。同26日午後、神戸港に到着[54]。27日、皇太子は富士を退艦して帰京した[54][注釈 18]。
1912年(大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別等級表を改訂する[56]。富士を含め6隻が海防艦(一等)に類別された[注釈 19]。
1922年(大正11年)7月、富士は廃棄戦艦加賀(加賀型戦艦)を神戸から横須賀まで曳航、続いて8月には廃棄戦艦土佐(加賀型戦艦)を長崎から呉へ曳航した[57]。 9月1日、「富士」と「石見」[注釈 20]は軍艦籍より除かれた[11]。「富士」は艦艇類別等級より削除され[58][59]、特務艦に類別、運送艦と定められる[12][注釈 21]。 同年12月1日、日本海軍は練習特務艦の類別を新設し[61]、「富士」は運送艦から練習特務艦に類別変更された[注釈 22]。 ワシントン軍縮条約に基づき兵装、装甲を撤去、運用術練習艦となる[57]。1923年(大正12年)の関東大震災では救護活動に参加[62]。
1926年(大正15年)より横須賀吉倉海岸に繋留、定繋練習艦となった[57]。1934年(昭和9年)に海軍航海学校が創設されると[63]、航海学校保管艦として艦上に居住区施設や講堂を増設、浮き校舎となった[57]。1939年(昭和14年)、海軍航海学校が海軍砲術学校の傍に移転すると、繋留地を変更した[57]。その後、1945年(昭和20年)7月18日になり第38任務部隊が敢行した横須賀空襲に遭遇する[20]。「富士」は炎上し、大破着底した[64]。太平洋戦争終結後、解体された。
年表

- 1894年8月1日 イギリス、テームズ鉄工所で起工
- 1896年3月31日 進水
- 1897年6月14日 ヴィクトリア女王即位60周年記念の観艦式に参加
- 1897年8月17日 竣工
- 1897年10月31日 横須賀に到着
- 1898年3月21日 一等戦艦に類別
- 1898年11月19日 常備艦隊親閲で御召艦となる
- 1902年8月26日 関門海峡を富士型戦艦として初通航
- 1904年 第1艦隊第1戦隊の3番艦として日露戦争に参加
- 1905年5月27日、28日 日本海海戦に参加
- 1912年8月28日 一等海防艦に類別変更[9]
- 1913年 運用術練習艦に指定
- 1922年9月1日 軍艦籍より除籍[11]。特務艦に編入、運送艦に類別[12]
- 1922年12月1日 練習特務艦に類別変更[13]
- 1926年 吉倉海岸に定繋
- 1934年 推進器を撤去
- 1939年 勝力岬付近へ移動
- 1945年7月18日 被爆、着底
- 1945年11月30日 除籍
- 1948年5月1日 - 8月15日 浦賀船渠で解体
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
0 | 三浦功 | 1896年2月20日 - 1896年11月21日 | 回航委員長、1896年3月25日英国出張 |
1 | 三浦功 | 1896年11月21日 - 1898年1月22日 | 1897年10月31日英国より帰着 |
2 | 鹿野勇之進 | 1898年1月22日 - 1899年3月22日 | |
3 | 舟木錬太郎 | 1899年3月22日 - 1899年6月17日 | |
4 | 世良田亮 | 1899年6月17日 - 1900年5月15日 | |
欠員 | 1900年5月16日 - 1900年6月17日 | ||
5 | 上村正之丞 | 1900年6月18日 - 1900年12月6日 | |
6 | 舟木錬太郎 | 1900年12月6日 - 1901年10月1日 | |
7 | 新島一郎 | 1901年10月1日 - 1902年3月12日 | |
8 | 井上敏夫 | 1902年3月12日 - 1903年9月26日 | |
9 | 松本和 | 1903年9月26日 - 1905年11月2日 | |
10 | 坂本一 | 1905年11月2日 - 12月12日 | |
11 | 毛利一兵衛 | 1905年12月12日 - 1906年11月22日 | |
欠員 | 1906年11月23日 - 1907年2月6日 | ||
12 | 大城源三郎 | 1907年2月7日 - 10月21日 | |
13 | 広瀬勝比古 | 1907年10月21日 - 1908年9月15日 | |
14 | 財部彪 | 1908年9月15日 - 12月10日 | |
15 | 西山実親 | 1908年12月10日 - 1909年1月25日 | |
16 | 石橋甫 | 1909年1月25日 - 4月1日 | |
欠員 | 1909年4月2日 - 5月21日 | ||
17 | 藤本秀四郎 | 1909年5月22日 - 12月1日 | |
18 | 山田猶之助 | 1909年12月1日 - 1911年1月16日 | |
19 | 大沢喜七郎 | 1911年1月16日 - 1911年12月1日 | |
20 | 高島万太郎 | 1911年12月1日 - 1913年3月7日 | |
21 | 原静吾 | 1913年3月7日 - 1914年4月17日 | |
22 | 荒西鏡次郎 | 1914年4月17日 - 1916年12月1日 | |
23 | 島内桓太 | 1916年12月1日 - 1917年5月8日 | |
24 | 村上鋠吉 | 1917年5月8日 - 1918年12月1日 | |
25 | 山口伝一 | 1918年12月1日 - 1922年9月1日 |
代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | (兼)河合退蔵 | 1922年9月1日 - 1922年12月1日 | 本職・八雲艦長 |
2 | 河合退蔵 | 1922年12月1日 - 1923年12月1日 | |
3 | 小副川敬治 | 1923年12月1日 - 1925年8月22日 | |
4 | 太田質平 | 1925年8月22日 - 1925年12月1日 | |
5 | (兼)太田質平 | 1925年12月1日 - 1926年12月1日 | 本職・春日艦長 |
6 | 井上肇治 | 1926年12月1日 - 1927年11月15日 | |
7 | (兼)太田質平 | 1927年11月15日 - 1929年2月8日 | 本職・春日艦長 |
8 | (兼)小野弥一 | 1929年2月8日 - 1931年12月1日 | 本職・春日艦長 |
9 | (兼)大田垣富三郎 | 1931年12月1日 - 1932年6月10日 | 本職・春日艦長 |
10 | 坂部省三 | 1932年6月10日 - 1934年4月1日 |
脚注
注釈
- ^ 達百二十七號 左記艦艇ノ信號符字ヲ各頭書ノ通リ改正ス 本達ハ昭和八年十二月二十八日ヨリ之ヲ實施ス 昭和八年十月十八日 海軍大臣 大角岑生[3] 新符字 舊符字 艦艇名 … JWXD GQJF 富士 …
- ^ 達第七十八號 英國ニ於テ製造中ノ甲號及乙號甲鐡戰艦並ニ呉鎮守府ニ於テ製造中ノ甲號報知艦左ノ通命名セラル 明治二十八年八月十六日 海軍大臣 侯爵西郷從道[6] 甲號甲鐡戰艦
富 士 - ^ ― 練習特務艦 ― 富士(ふじ)[14] 基準排水量9,179噸、長さ114米、幅22.25米、平均吃水6.66米、速力18.25節、起工明治27年8月、進水明治29年3月31日、竣工明治30年8月17日、建造所英國テームス社 ― 各種水兵の實地教育のために使はれてゐる。なほ、練習特務艦には、ほかに敷島(11,275噸)がある。
- ^ 練習艦といっても[15]、装甲巡洋艦を転用した各艦(八雲、出雲、磐手)や香取型練習巡洋艦のように、練習艦隊として航海しながら将兵を育成する艦艇ではない。太平洋戦争時点で、「富士」と練習特務艦「春日」[16]は横須賀港で、練習特務艦「敷島」[17]は佐世保港[18]、練習特務艦「浅間」[16]は呉港で、それぞれハルクとして運用された。
- ^ Upper Middle:(6)OCA ASAMA. Note hole on starboard quarter.[20] 写真説明ではASAMAとあるが、練習特務艦浅間は[16]、呉所在である。横須賀にいたのは「富士」。
- ^ 富士(ふじ) 艦種戰艦 二檣(戰闘檣あり)[8]
艦名考初代「富士山」の項(p.8)参照。
艦歴戰艦富士は姉妹艦八島及び通報艦宮古と共に明治26年度に計畫せられたる艦なり。此三艦建造費は第二帝國議會に於て否決せられたるを以て、皇室費の内より支出し給へる年額30萬圓及び官吏俸給の10分の1を此軍艦製造に充て、實際は同25年より其の製造に着手し、次の議會に之が協賛を得て中途より國庫の支辨となりたる由來あり。明治30年6月14日領収、英國女皇陛下御即位60年祝典觀艦式に日本代表艦として参加、同年8月17日竣工、同日英國出發、同10月31日横須賀到着。同31年3月一等戰艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第一艦隊第一戰隊、艦長大佐松本和):同37年8月黄海々戰参加、同38年5月日本海々戰参加、同38年12月戰艦の等級を廢せられる。大正元年8月一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役に從軍:同11年9月1日軍艦籍より除き、特務艦とし、同年12月1日運用術練習特務艦とし、現在に至る。
―要目― 長374呎/幅73呎/吃水26呎/排水量12,300噸/機關 四汽笛直立三聯成汽機2基、圓罐/馬力13,500/速力18.25/乗組人員600/船材 ハーベイ鋼(甲鐡帶457粍)/兵装 12吋安式砲4/6吋安式砲10/12听安式砲16/2.5听安安砲4/發射管5/起工 明治27-8-1/進水 同29-3-31/竣工 同30-8-17/建造所 英國テームス - ^ 富士山(ふじやま) 艦種三檣「シップリグ」型「スループ」[21]
艦名考山名に採る。富士山は駿河國富士・駿東の二郡甲斐國南都留西八代の二郡に跨る。富士郡大宮町より7里30町駿東郡須走村より5里18町、南都留郡上吉田より3里餘にして其山頂に達す。標高12,467尺なり、富士山は別稱36あり、其の中、不二山・芙蓉峰・八葉嶽・四面山等は最も人口に膾炙する所なり。
艦歴元治元年(1864)米國「ニュヨーク」にて製造、徳川幕府の軍艦、「富士山」と命名す、慶應元年横濱到着。明治元年4月徳川幕府より朝廷に納む、同9年10月機關を撤去す、同13年1月繋留練習艦とし、同18年12月運用術練習船とす。同22年5月軍艦籍より除き、船體を呉鎮守府海兵團に属し、後ち呉水雷隊敷設部に充て、同29年8月該船體を賣却す。(要目略) - ^ 旗普第七八四號ノ三[29] 本日軍艦須磨ノ常備艦隊司令官旗艦ヲ止メ更ニ軍艦富士ヲ司令官旗艦ニ指定候条此段報告候也 明治三十年六月十四日 博多 常備艦隊司令長官男爵相浦紀道 海軍大臣 侯爵西郷從道殿
- ^ 旗普第八五〇號ノ三[30] 報告 本日軍艦冨士ノ常備艦隊司令官旗艦ヲ止メ更ニ軍艦鎭遠ヲ司令官旗艦ニ指定候条此段及報告候也 明治三十年六月廿七日 常備艦隊司令長官男爵相浦紀道 海軍大臣侯爵西郷従道殿
- ^ ○軍艦發箸[32] 軍艦嚴島ハ去月三十日呉ヘ投錨、同比叡ハ同日長濱ニ向ヒ同港抜錨、同富士ハ横須賀ヘ、同八島ハ コロンボ ヘ〃三十一日孰モ投錨(以下略)
- ^ 內令第四十九號[33] … 佐世保鎮守府所管 軍艦 富士 右警備艦ト定メラル 明治三十年十一月一日 海軍大臣 侯爵西郷從道殿
- ^ 內令第六十二號[34] 横須賀鎭守府所管 警備艦兼練習艦橋立 吳鎭守府所管 軍艦八島 佐世保鎭守府所管 軍艦富士 右常備艦隊ニ編入セシメラル 明治三十年十二月二十日 海軍大臣 男爵西郷從道
- ^ ○常備艦隊運動天覽及大阪市臨幸[38] 天皇陛下ハ御豫定ノ如ク一昨十九日午前七土岐大本營御出門同七時三十分大阪御發車神戸港ヘ行幸常備艦隊運動天覽畢テ米利堅波止場ヨリ御上陸神戸居留地通午後二時十五分神戸御發車大阪ヘ還御尋テ同市泉布観ヘ臨御同五時十五分還御アラセラレタリ|○御發車及御安箸 天皇陛下ハ御豫定ノ如ク昨二十日午前七時二十分大本營御發車午後六時三十分静岡行在所ヘ御安箸アラセラレタリ
- ^ 開戰前誌 明治三十六年十二月二十八日(月)[41] 一聯合艦隊左ノ通リ編制セラル
- ^ ○宮廷録事[46]|○東宮御安著 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク一昨十九日午前七時二十分名古屋離宮御出門同七時五十分名古屋停車場御發車午後誤字岡山停車場御著車同五時十五分御旅館 岡山後樂園 ニ御安著アラセラレタリ/○東宮御發艦 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク昨二十日午前七時二十五分御旅館 岡山後樂園 御出門同七時四十分岡山停車場御發車午後零時五十五分宮島停車場御著車續テ同一時十五分御乗艦 軍艦富士 同二時六分御發艦アラセラレタリ
- ^ ○宮廷録事[52] ○東宮演習御覧竝御著艦 皇太子殿下ハ本月二十日宮島御發艦引續キ海軍聯合小演習御覧一昨二十四日午後五時十分廣島灣ニ御着艦アラセラレタリ(以下略)
- ^ ○宮廷録事[53] ○東宮演習御覧竝御發艦 皇太子殿下ハ一昨二十五日廣島灣ニ於テ第一艦隊特殊研究射撃御覧午後零時十五分御發艦神戸港ニ向ハセラレタリ/○東宮御著艦 皇太子殿下ハ昨二十六日午後二時三分神戸港ニ御箸艦アラセラレタリ
- ^ ○宮廷録事[55] ○東宮御安著 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク昨二十七日午前六時神戸御上陸同六時二十分神戸停車場御發車午後四時静岡停車場御著車同四時十分静岡御用邸ニ安著アラセラレタリ(以下略)
- ^ 達第十二號 艦艇類別等級別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實[9] |艦艇類別等級表
- ^ 日本海海戦で連合艦隊に降伏したバルチック艦隊所属の戦艦「オリョール」を、日本海軍が戦利艦として修理、「石見」として再就役させた軍艦。
- ^ 富士(ふじ)〔再出〕 艦種特務艦 艦名考 艦歴}「日清戰争以降、日露戰役迄の艦艇」の部参照(p.74)。[60]
―要目― 長114.00米/幅22.25米/吃水6.66米/排水量9,176噸/速力18.25/起工 明治27/進水 同29-3-31/竣工 同30-8-17/建造所 英國テームス - ^ 達第二百十二號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 大正十一年十二月一日 海軍大臣男爵 加藤友三郎[13] 運送艦ノ項中「、富士」ヲ削リ測量艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |練習特務艦
出典
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- ^ a b c d #日本の戦艦(上)2001p.218
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- ^ #達昭和16年12月 画像11 〔 海軍艦(船)名及海軍通信隊名略符號 … 特務艦 JFAQ 富士 〕
- ^ a b #達明治31年3月(1) pp.16-17〔 達第三十五號 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道|軍艦|戰艦|一等|富士、八島、敷島、朝日 〕
- ^ a b #達明治28年8月 p.12
- ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実 237コマ(原本83頁)〔 一、最初の甲鐡戰艦「富士」「八島」起工―明治二十七年(一八九四) 〕
- ^ a b c d e f g h i j k #幕末以降帝国軍艦写真と史実 コマ54(原本74頁)
- ^ a b c #達大正1年8月p.33
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関連項目
- 戦艦一覧
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 富士山
- ふじ (砕氷艦) - 艦内神社は富士山本宮浅間大社より勧請(現在はしらせで祀られている)。
- 藤 (駆逐艦) - ともに現代仮名遣いでは「ふじ」と表記されるが、こちらは歴史的仮名遣いでは「ふぢ」と表記される。
外部リンク
「富士 (戦艦)」の例文・使い方・用例・文例
- 青空を背景にした富士山
- うちの80歳のおじいさんは毎年夏に富士山に登る
- 富士山を見るつもりだったがお天気がひどかった
- 富士山は雲で見えなかった
- 「富士山の高さはどれくらいですか」「3776メートルです」
- 富士山は日本で最も高い山である
- この絵は富士山を描いたものです
- 富士山は一面の雪でおおわれている
- 晴れの日には東京から富士山が見える
- 富士山に昇る朝日を見たとき,あまりの美しさにことばが出てこなかった
- 富士山がとても印象に残った
- 富士山を見たいんです。
- 箱根なら日帰りで富士山を見にいけます。
- ずっと西の方に、今日は富士山が見えますよ。
- 富士山は2013年に世界遺産として登録されました。
- 富士山の高さはいくらですか?
- 富士山を登ったことはありますか?
- 富士山に登ったことある?
- あなたは今までに富士山に登ったことはありますか?
- 富士山の歴史の題目について彼女は話した。
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