アメリカと太平洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:16 UTC 版)
アメリカ合衆国が戦艦の建造を始めたのは1891年のことである。それはまず足の短い沿岸防備用戦艦であり、中間砲として革新的な8インチ砲を備えている以外は、イギリスの戦艦フッドと類似していた。アメリカ海軍は、1901-02年起工のバージニア級までの間、比較的短航続距離で耐航性に乏しい艦を建造し続けた。しかし、米西戦争の、特に輝かしいサンチャゴ・デ・キューバ海戦などにおいて、前弩級戦艦を持たない時代遅れのスペイン艦隊からアメリカの海上優位を守ったのがこれらの旧式艦であるのも確かである。バージニア級と、それに続く2つのクラスの前弩級戦艦はドレッドノート出現後に完成したが、そのときには既にアメリカにおける弩級戦艦の研究が開始されていた。1907年12月16日から1909年2月22日にかけて、アメリカの16隻の前弩級戦艦からなる「グレート・ホワイト・フリート」の世界周航が行われた。 日本は、前弩級戦艦時代に起きた大きな2つの海上戦争の両方に関与していた。日本の最初の前弩級戦艦である富士型は、日清戦争の勃発時点ではまだ建造中だった。日清戦争では、黄海海戦において日本の装甲巡洋艦と防護巡洋艦が清国北洋艦隊の旧式装甲戦艦と巡洋艦の混成艦隊を撃破した。勝利の後、同地域へのロシアの圧力に直面して、日本は富士型2隻に加えてさらに4隻の前弩級戦艦を発注した。それらは日本艦隊の中核を構成し、日露戦争の黄海海戦と日本海海戦の2回の海戦において、数的に勝るロシア艦隊と交戦した。日本海軍は新旧さまざまのロシア戦艦8隻を捕獲したほか、日露戦争後にもさらにもう数クラスの前弩級戦艦を建造した。
※この「アメリカと太平洋」の解説は、「前弩級戦艦」の解説の一部です。
「アメリカと太平洋」を含む「前弩級戦艦」の記事については、「前弩級戦艦」の概要を参照ください。
- アメリカと太平洋のページへのリンク