二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍とは? わかりやすく解説

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二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)

日米交渉」の記事における「二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍」の解説

若杉要#『米国共産党調書発行」も参照 日米交渉民間外交起点として、その後正規外交ルート乗せられたという経緯を持つ。その発端は、1940年11月25日アメリカからメリノール宣教会のジェームズ・ウォルシュ司教とジェームズ・ドラウト神父来日したことであった。両師は元ブラジル大使沢田節蔵と、近衛文麿首相に近い産業組合中央金庫(現・農林中央金庫理事井川忠雄宛てた紹介状それぞれ持参しており、彼らの紹介各方面要人面談した(その中には松岡洋右外相武藤章軍務局長日本高官含まれていた)。両師の目的日米関係改善にあり、その背後にはフランクリン・ルーズベルト大統領の側近であるフランク・C・ウォーカー英語版郵政長官がいた。 翌1941年昭和16年1月帰国したウォルシュドラウトは、23日ハル国務長官ウォーカールーズベルト経過報告し、「日本提案」なる覚書提出したその内容三国同盟破棄中国における停戦極東モンロー主義承認米国との経済関係回復というものであったが、これは正式な日本提案ではなく、両師が日本側の意見をまとめたに過ぎないものであった。このときのルーズベルト態度は明らかではないが、ハル懐疑的であり、反対にウォーカー乗り気であったウォーカーウォルシュドラウト構想日米協定を結ぶことにより日本政府内の穏健派支持し日本政策を対独結合から対米協調へと転換させようとするものであったが、ハル(および国務省)は日本では穏健派軍部抑えることはありえない判断しており、温度差があったのである。 ともかく、ルーズベルトハルは、両師が私的に日本側と接触することを容認しつつ、政府としての行動新任野村吉三郎大使着任まで待つこととした(野村着任2月11日)。その背景には、アメリカアドルフ・ヒトラー脅威対す世界戦略、すなわち大西洋第一主義ドイツ打倒優先)・対日戦回避があり、ルーズベルトハル日米会談門戸開けておくことに異存はなかった。 一方、帰米後のウォルシュドラウト日米国交調整工作井川を介して近衛首相武藤軍務局長松岡外相伝えられていた。この工作近衛武藤関心を引き、米国側の意向瀬踏みするため、2月井川渡米した。そして、後続として武藤部下である岩畔豪雄軍事課長が3月渡米することも内定した武藤、岩畔の思惑は、アメリカ利用した支那事変解決にあり、日本にもアメリカと「太平洋の平和」を取引する動機があったのである27日井川ウォルシュドラウト再会し、両師からウォーカー紹介された。ウォーカー日米関係微妙な状況では民間人有志外交が有効であると説きルーズベルトハルへの連絡役を買って出て「三者協議進めて日米国交正常化する方法決めてほしい」と井川激励した。しかし、そもそも両師は井川政治的立場見誤っており(井川近衛首相非公式代表と捉えていたが、井川近衛から米国側の意向報告してほしいと依頼されたに過ぎなかった)、ウォーカー井川正式な権限与えられている日本全権代表と誤解してルーズベルト報告するなど、日米交渉には当初からコミュニケーション・ギャップつきまとっていた。なお、28日井川野村大使を訪問し経過報告している。 井川ドラウト協定案の作成着手し3月13日にはウォーカーからハル三国同盟からの日本脱退太平洋の平和の保障中国門戸開放中国の政治安定軍事的政治的侵略不可共産主義拡大阻止などの内容について作業中との覚書提出された。ウォーカーは、日本政府井川ドラウト協定案に同意しているかのように報告したが、その内容日本政府立場相異なり、井川独走と言えるものであった

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