もんこ‐かいほう〔‐カイハウ〕【門戸開放】
門戸開放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:28 UTC 版)
「東京箱根間往復大学駅伝競走」の記事における「門戸開放」の解説
箱根駅伝を出雲駅伝・全日本大学駅伝とともに「大学三大駅伝」と並び称する人やメディアも少なくないが、出雲駅伝と全日本大学駅伝が全国大会(主催:日本学連)なのに対し、箱根駅伝は日本学連傘下の一組織である関東学連が主催する地方大会にすぎないため、大会としての格は明らかに下で、出雲駅伝の関東地区選考会でもある。しかし、近年では関東の各大学が、年間の最大の目標を箱根駅伝に置く傾向が強く、更に、箱根駅伝は全日本大学駅伝や、出雲駅伝に比べて、区間数や、1区間あたりの距離の平均が非常に大きい上、他の学生駅伝には無い「山登り」「山下り」の区間も存在する(学生駅伝の中では最も過酷である)ため、全国大会で本来最も権威の高いはずの出雲駅伝と全日本大学駅伝を、単なる箱根駅伝の前哨戦又は調整試合という意味合いで戦い、必ずしもベストメンバーを送り込まない大学も少なくない。また、地方大会であるはずの箱根駅伝が事実上の学生駅伝No.1決定戦且つ国内陸上競技最大のイベントになったことで、他の大学スポーツと同様、男子陸上長距離の人材の東京一極集中が起こっている。(但し女子は全国津々浦々に強豪校が点在しているためこの現象が起こっていない) このほか、関東地区の地方大会がゆえに当大会の出場は原則として関東学連の加盟校に限られる一方、テレビ報道の影響により全国的に知名度が高いスポーツイベントになったことで、他地域の大学への門戸開放を求める声がしばしば発生する。 関東学連では1960年代に予選会への出場を他地域のチームへの門戸開放を検討したこともあるが、予選会への参加を全国に開放した場合には全国大会となるため、大会の主管を日本学連へ移す必要が生じる。開催の主導権が変わることを避けたかった関東学連有力校のOBらが中心になって反対したため、結局この時の門戸開放は実現しなかった。 この動きを受けた他の学連は、関西学連・東海学連が中心になり、箱根より高い権威を持つ全国大会を創設する目的で全日本大学駅伝の創設に導いた。こうした事情から、関東学連は全日本大学駅伝の創設に最後まで反対。これ以降は箱根駅伝を関東以外の大学に開放しようという意見は消滅することになる。なお、第90回(2014年)では記念大会による増枠分3枠を関東以外のチームに与えるとの報道がされていたが、学連選抜としてなのか単独チームとしてなのかは明らかにされていなかった。結局、上記の学連選抜チームの記載のとおり、関東のチームのみとなった。 しかし近年、全日本大学駅伝の出場校が関東の大学と他地域の大学で実力差が如実に反映されるようになった。これは男子学生駅伝の特有の現象であるとされる。上位をほぼすべて関東の大学が占める一方で、地方から出場している大学が半分も行かない地点で既に繰り上げスタートになってしまう事態が発生するに至って、全日本大学駅伝の権威が著しく低下している。 文部科学省では現在でも全国大会は実力本位の選手権大会と、選抜大会の2つしか開催しないよう学生競技団体へ指導を行っており、箱根駅伝が国内の全大学に門戸開放されると、全国大会として運営されている出雲(選抜)駅伝および全日本大学駅伝(選手権)との関係が問題となる。しかし現実には箱根駅伝が、現存する日本の駅伝では最も長い歴史を持つ大会であり、知名度も高いことを勘案すると、長年にわたり主催してきた関東学連が当大会を手放すことは考えにくい。 2010年1月に行われた監督会議では、関東学連選抜枠を「廃止」もしくは「『全国』にも門戸を開く」案を含めて見直しの方向に入るとマスメディアによって報じられ、第89回(2013年)までは存続した。それ以降については学連選抜チームの記載を参照。 2017年11月6日、関東学連は、第100回を迎える2024年の記念大会より全国化を検討していることを明らかにした。現時点での試案として、前年秋の予選会において一定のタイムの基準を満たせば、関東地区以外の大学も出場できる案、本戦もオープン参加としてではなく、正式な記録として認め、同記念大会以降も同様の形式とする可能性が挙げられている。
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