アメリカにおける"human engineering"のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 01:15 UTC 版)
「人間工学」の記事における「アメリカにおける"human engineering"のはじまり」の解説
アメリカ合衆国においてはじめて「人間工学」という言葉があらわれたとき、この言葉は、『人間の取り扱いを「科学」にしなければならない』、との労務改革のメッセージとして用いられた。19世紀の後半、モノをあつかう術である機械工学 (mechanical engineering) は驚異的な発展をとげ、アメリカ産業を押し上げる原動力となったが、ヒトをあつかう術はそれに見合うかたちで発展してこなかった、このギャップを埋めるには後者を機械工学に匹敵する「科学」として確立し、専門家の仕事として発展させなければならない。強烈な専門職業イデオロギーに裏付けられたこのような問題意識が、1910年代のはじめに "human engineering" という言葉に結晶し、1916年に「人事管理」の代名詞として用いられ、広く知られることとなる。 アメリカ合衆国における「人間工学 (human engineering)」の最初の使用例は、ウィンスロップ・タルボット (Winthrop Talbot) によって1911年に創刊された雑誌『人間工学』である。1911年1月、『人間工学』創刊号において、彼は自身の労務改革構想を説明している。そもそも人間工学という言葉は機械工学に対比されるべき「新しい専門職」を表現するために自分が考案したものだと述べている。そしてこの新しい職能を担う企業内の分権化された部署として「人間工学部」を新設すべきだと提案した。この部門は、経営組織内において、「生産、販売、購買、会計監査、輸送、エンジニアリング、研究開発の諸部門」と同等の地位に位置づけられるべきであるとしている。 1920年代に、「人間工学」の語は、工学教育や産業心理学の分野で使われていたが、これが "human factor eingineering" として開花するのは第二次大戦後のことである。第二次大戦中、空軍戦闘機のコックピットの設計問題が契機となり、人間の能力に機械や作業環境などを適合させるための研究がすすみ、戦後、機械設計やシステム設計の学として人間工学は成熟することとなる。
※この「アメリカにおける"human engineering"のはじまり」の解説は、「人間工学」の解説の一部です。
「アメリカにおける"human engineering"のはじまり」を含む「人間工学」の記事については、「人間工学」の概要を参照ください。
- アメリカにおける"human engineering"のはじまりのページへのリンク