アメリカにおけるMG151(.60Cal T17)
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「MG 151 機関砲」の記事における「アメリカにおけるMG151(.60Cal T17)」の解説
1941年、アメリカ軍に対してMG 151を鹵獲したイギリス軍より実銃が提供され、アメリカ軍ではその高発射速度と口径に比して小型軽量であることに注目し、コピー生産を試みた。 使用弾薬は対戦車兵器(対戦車ライフル)として開発されていた .60cal弾(15.2x114mm)とされ、コルト[要曖昧さ回避]社によってMG151をリバースエンジニアリングしてロングアイランド工廠で試作品を製造、ゼネラルモーターズの傘下(当時)である家電メーカーのフリッジデール社によって量産され、1942年に".60-caliber T17"として仮制式化され、同年11月より実射試験が開始された。 しかし、精密プレス加工された部品を多用した構成は安定した品質を保って量産することが難しく、高精度の加工を可能とするために必要な火砲用鋼材のコストも高いものだった。大量生産を可能とするためにこれらの点を変更した結果、T17はオリジナルのMG151の約43kgに対して134ポンド(61 kg)もあり、故障発生頻度が激増した上に安定して発射できる速度は600発/分に留まった。故障率は問題点を改良したT17E3においても平均して1,000発に1発と高く、銃身寿命も短かった。 T17は計画試験中に約95万発を発砲するテストが行われたが、作動不良と部品の破損が続出、これに対処するために、T39/41/50/51/63といった各種の改良型が設計されたが、開発目的であった“小型軽量かつ高発射速度”と“大量生産が容易で現実的な製造コストで量産できること”の両立を実用的なものとして達成することができず、開発は断念され、航空機銃としてではなく車両に搭載する対空砲としての開発・配備に計画が変更されたもののこれも実行されず、戦争終結後の1946年に計画は正式に放棄された。MG151同様、20mm口径に拡大した発展型も開発・試作されたが、同様の問題を発生させて開発中止となっている。 .60 cal弾を使用する対戦車兵器として開発されていたT1およびT1E1対戦車ライフルも「重量がありすぎて人力による可搬が難しく、弾頭威力が既に対戦車兵器としては威力不足である」として1944年11月に開発中止となり、T17は5,000基が発注されたが、約300基のみが製造されたのみに終わった。.60 cal弾は600万発が製造された。 なお、.60cal弾は徹甲弾と通常弾のみが開発・製造され、MG 151の特色であった薄殻榴弾は製造されていない。.60 cal弾は後に戦後アメリカ軍航空機に広く使用された20x102mm弾の基になっている。
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