かいじょう‐せん〔カイジヤウ‐〕【海上戦】
読み方:かいじょうせん
「海戦」に同じ。
海上戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:08 UTC 版)
倭国・百済連合軍は、福信殺害事件の影響により白村江への到着が10日遅れたため、唐・新羅軍のいる白村江河口に対して突撃し、海戦を行った。倭国軍は三軍編成をとり4度攻撃したと伝えられるが、多数の船を持っていたにもかかわらず、火計、干潮の時間差などにより、663年8月28日、唐・新羅水軍に大敗した。 この際、倭国・百済連合軍がとった作戦は「我等先を争はば、敵自づから退くべし」という極めてずさんなものであった(『日本書紀』)。
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