海上封鎖任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:17 UTC 版)
海上封鎖任務は北軍の水兵や陸兵にも魅力あるものだった。海上封鎖の任務は戦争中の最も退屈なものであったが、潜在的所得という条件では最も魅力があった。戦隊の任務はあちこちを航行して封鎖突破船を捕まえることだったが、この「退屈な任務」に志願した兵の数は5万名以上にもなった。これは陸上の歩兵よりも船上の方が食事も生活条件も遙かに良く、遥かに安全であり、さらに小さいとしても大金を獲る機会が現実にあったからであった。捕獲した船舶と積荷は競売に付され、利益は船員達の間で階級に応じて分配された。USSアイオロスが1864年遅くにウィルミントン沖で、不運な封鎖突破船ホープを捕獲したとき、船長は13,000ドル、1等機関士は6,700ドル、水兵は一人当たり1,000ドル以上、船室係の少年でも533ドルを受け取り、歩兵の月給13ドルに比べて遙かに良かった。封鎖突破船から獲られる報酬額は様々だった。小さなアリゲーターは50ドルにしかならず、メンフィスを捕まえたときは51万ドル(市民労働者の生涯賃金で40人分)をもたらした。4年間で2500万ドルが賞金になった。
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