海上封鎖決定とは? わかりやすく解説

海上封鎖決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)

キューバ危機」の記事における「海上封鎖決定」の解説

20日午後2時30分からの正式な会議国家安全保障会議505会議) で、ケネディはまずマコーンから新し航空写真その他の情報提出させて、その後で、(1)まず封鎖から始めて必要に応じて行動強めていくか、(2)まず空爆から始めて最後侵攻覚悟するか、という2つ選択肢基幹としてそれから派生する分枝問題提示された。その後ケネディはまず封鎖から着手すべきとして空爆侵攻主張するメンバーそういう作戦その後絶対に採られないことではないと解してよろしいと言葉続けたソレンセンによると、決め前に限定的な空爆がまず出来ないことを重ねて確かめるつもりであったが、結局自分結論出した大統領が下さなければならない決断であり、それが出来るのも大統領だけだからであると著書書いている。 ケネディはこのとき海上封鎖実施決断したケネディがその次に打つ手自由に選べることと、フルシチョフにも選択余地を残す利点があることで封鎖での力の誇示ソ連考え直す機会与えることになることが決め手であった何よりも悪いのは何もしないことであると述べている。しかしもしミサイル基地撤去同意しなかった場合意見分かれた多くメンバー空爆支持したマクナマラスティーブンソン国連大使反対し、スティーブンソングアンタナモ米軍基地撤収まで言及して軍事的衝突避けるべきであると主張した。この封鎖以外での外交交渉でのカードとしてトルコミサイル撤去があったが、この時にはケネディは他の欧州諸国にとって関心の無いカリブ海小国問題自国利益のために欧州の安全を犠牲にするのではないか、という疑惑裏書きすることで同盟破壊しかねない譲歩をすべきではないと考えていた。この問題最後局面重要な課題となったこの後に、ケネディ21日(日)にテレビ・ラジオを通じて国民演説する意向示したが、国務省から事前に他の同盟国中南米諸国説明する必要があり、日曜日ではなく月曜日にそれらを全て行うため、結局22日(月)午後7時演説することで同意した。ここで国務省からあった封鎖Blockade)という言葉好戦的戦争行為解釈されるので以後隔離Quarantine)を言葉として使用することも決まった会議終わってから外交ルート米州機構への申し入れ国連への安保理開催申し入れ各国首脳西ベルリン市長あての手紙、フルシチョフへの簡単な通告文書作成かかった

※この「海上封鎖決定」の解説は、「キューバ危機」の解説の一部です。
「海上封鎖決定」を含む「キューバ危機」の記事については、「キューバ危機」の概要を参照ください。

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