ニャチャンから三亜まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/25 07:06 UTC 版)
「ヒ88J船団」の記事における「ニャチャンから三亜まで」の解説
3月28日午前8時、輸送船3隻・護衛艦9隻の編制に変わったヒ88J船団は、ニャチャンを出港した。しかし、出発から2時間半ほどで空襲が始まり、2AT型戦時標準タンカー阿蘇川丸(川崎汽船:6925総トン)が撃沈された。日本軍の戦闘機1機が護衛に飛来したが、逆にP-38戦闘機によって撃墜された。 空襲が終わった直後に今度は潜水艦の攻撃があり、アメリカの潜水艦ブルーギルがタンカーの鳳南丸(飯野海運運航:5542総トン、イギリス船War Sirdarを拿捕したもの)を撃破した。同船は船尾を切断されて航行不能に陥り放棄されたが、漂流して擱座したために船体は残った。第18号海防艦と第130号海防艦が被雷した鳳南丸の乗員を救助後船団に追及した。敵潜水艦の襲撃に対し、日本の護衛部隊も盛んに爆雷を投下して応戦しているところ、アメリカの潜水艦ブラックフィンが付近で行動中に爆雷攻撃で損傷しており、ヒ88J船団の第26号海防艦の戦果と推定される。なお、ブルーギルは鳳南丸の残骸を破壊するために翌日にも攻撃を繰り返し、最終的に4月5日に乗員を上陸させて爆弾を仕掛けて完全に破壊した。 3月29日、船団はたった1隻残った小型タンカーの海興丸(太洋興業:956総トン)を囲んで北上を続けたが、明け方に第84号海防艦がアメリカの潜水艦ハンマーヘッドの雷撃に遭った。第84海防艦は弾薬庫の爆発で瞬時に沈没し、海防艦長の池田時義大尉以下乗員191名全員が戦死した。正午近くになると第5空軍所属のB-25爆撃機が反跳爆撃による波状攻撃を仕掛け、海興丸と溺者救助に向かった第18号海防艦と第130号海防艦が撃沈された。2隻の海防艦に生存者は無かった。夜になっても、PBM飛行艇がレーダー照準により空襲を行い、日本側の対空砲火で1機が墜落したものの、第134号海防艦を損傷させた。 3月30日、ヒ88J船団は、海南島の三亜に到着した。到着から1時間もしないうちに空襲があり、対空砲火で1機を撃墜したものの、第26号海防艦が中破し航行不能となった。全ての輸送船を失った船団は、ここで消滅することになった。生き残った護衛艦艇は、第26号海防艦を残して31日に出航、4月2日に香港に移っている。
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