大内建二による11次に渡る船団
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「南号作戦」の記事における「大内建二による11次に渡る船団」の解説
ヒ88A船団 詳細は「せりあ丸」を参照 加入輸送船は1隻で、せりあ丸には航空用ガソリン17,000tを積載していた。1月20日にシンガポールを出港。船団はシンゴラ沖に仮泊してタイ湾を横断。、1月23日にフランス領インドシナのサンジャックに到着。護衛艦の交代後、1月24日に出港。1月27日にチョンメイ湾で仮泊した。船団は大陸の海岸沿いに進み、2月3日に船団は上海の沖合に到着。護衛艦の再交代後、船団は黄海を横断し、2月6日に朝鮮の鎮海に到着。ここで護衛艦を加え、2月7日午後4時半に門司港外の六連島泊地に到着した。 編制輸送船タンカー - せりあ丸(2TL型戦時標準タンカー) 護衛艦駆潜艇 - 2隻(サンジャックまで) 海防艦 - 第41号(サンジャックから上海まで)、205号(サンジャックから上海まで)、笠戸(5日から)、沖縄(鎮海から) 駆逐艦 - 桜(上海から)、樫(上海から) ヒ88B船団 加入輸送船は3隻で、大越丸(大阪商船、6,890トン)には重油約8,000t、錫570t、ゴム1,200t、便乗者12名を、延喜丸(日本郵船、6,968トン)には重油7,096t、錫500t、生ゴム1,600t、雑貨2,200t、郵便物206個、便乗者21名を積載していた。1月28日にシンガポールを出港。船団はサイゴンに到着し、第60号海防艦を加入して出港しサンジャックに向かった。サンジャックに到着した船団はここで辰珠丸(拿捕船/辰馬汽船運航:3,242総トン、旧アメリカ船Admiral Y S Willams )を分離。サンジャックを出港した船団は1月31日、インドシナ半島バタンガン岬北方を航行中に米潜水艦ボアフィッシュに発見され、明け方5時50分ごろに大越丸と延喜丸の2隻にボアフィッシュの魚雷が命中し、延喜丸は船体折損して8時5分ごろに沈没した。大越丸は損傷甚だしく沿岸に座礁し放棄された後、第14空軍機によって破壊され、船団は消滅した。 編制輸送船タンカー - 大越丸(2AT型戦時応急タンカー)、延喜丸(2AT型戦時応急タンカー) 貨物船 - 辰珠丸(サンジャックまで) 護衛艦海防艦 - 能美、第60号(サイゴンから) 哨戒艇 - 第104号哨戒艇 駆潜艇 - 第20号駆潜艇 ヒ88C船団 加入輸送船は2隻で、延長丸(日本郵船:6,888総トン)には重油7,000t、錫、生ゴムを積載していた。1月31日にシンガポールを出航。船団は2月8日、キノン湾に仮泊。2月11日に海南島楡林に到着する。同地で聖川丸(川崎汽船:6862総トン)を加入し、2月12日に空襲を受け、聖川丸が至近弾により損傷した。同日後水湾に仮泊、2月14日に舟山列島沖合で聖川丸が分離した。2月16日に金門湾、2月17日に南日島にそれぞれ仮泊。2月21日に揚子江沖で延長丸、三宅、第20号掃海艇が分離し、上海に回航する。船団は2月27日に門司に到着した。延長丸、三宅、第20号掃海艇は21日に上海に到着。重油3,500tを陸揚げして出航し、3月2日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 延長丸(2AT型戦時応急タンカー)、大江山丸(大阪商船:6,890総トン、2AT型戦時応急タンカー) 貨物船 - 聖川丸(舟山列島まで) 護衛艦海防艦 - 干珠、三宅 掃海艇 - 第20号掃海艇 ヒ88D船団 加入輸送船は3隻で、延元丸(日本郵船:6,890総トン)には重油7,110t、生ゴム1,195t、錫17t他あわせて8,854tの積荷と、便乗者7名を、大暁丸(大阪商船:6,892総トン)には重油、ゴム、錫他9,300tの積荷と郵便31個、便乗者12名をそれぞれ積載していた。2月4日にシンガポールを出航し、2月6日未明、ホーチミン市南方470キロ地点を航行中の船団は米潜水艦パンパニトから発見され、延元丸の右舷機関室にパンパニトの魚雷1本が命中し沈没した。2月7日には米潜水艦ガヴィナから発見され、大暁丸にガヴィナの魚雷3本が命中し沈没していった。治靖丸(拿捕船/日本郵船運航:3,033総トン、旧オランダ船Van Der Hagen )だけとなった船団は8日にベトナムのサイゴンに到着したところで途中解散となった。 編制輸送船タンカー - 延元丸(2AT型戦時応急タンカー)、大暁丸(2AT型戦時応急タンカー) 貨物船 - 治靖丸 護衛艦海防艦 - 屋久、13号、31号 ヒ88E船団 加入輸送船は2隻で、重油、生ゴム、錫を積載していた。2月11日にシンガポールを出航。船団は肉眼による見張りがしにくい夜間を避けて航行していた。2月15日にカムラン湾、16日に仏印クサンデー湾、17日にバタンガン湾、18日にツーラン、21日に濃霧のため海南海峡に、22日に牛角山南西、24日に古雷頭山西方、28日に梅散群島、3月2日に大洋山島、6日に猪仇里湾、7日に対馬の三浦湾にそれぞれ仮泊。9日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 延慶丸(日本郵船:6,892総トン、2AT型戦時応急タンカー)、神祐丸(大阪商船:6,956総トン、2AT型戦時応急タンカー) 護衛艦海防艦 - 132号 哨戒艇 - 第104号哨戒艇 駆潜艇 - 第63号駆潜艇 ヒ88F船団 加入輸送船は2隻。2月11日5時10分ごろにシンガポールを出航。6時ごろ、護衛の海防艦能美がシンガポール水道東口ホルスバーク灯台北々東18kmで機雷に触れ損傷、2月14日、香港沖で空襲を受け、護衛の海防艦能美が被弾しさらに損傷した。船団は香港に向かい、同地で能美を分離。海防艦60号を加入して出航。3月8日に門司に到着した。 編制輸送船栄丸、福栄丸 護衛艦海防艦 - 能美(香港まで)60号(香港から) 掃海艇 - 第34号掃海艇 ヒ88G船団 加入輸送船は3隻で、第一弥栄丸(共栄タンカー;834総トン)には原油1,700t、便乗者21名を、第二高砂丸(蓬莱タンカー:834総トン)には推定1,500tの石油を積載していた。2月14日にシンガポールを出航。船団は21日にサンジャックに到着。ここで第三十南進丸(南方輸送船:834総トン)を分離。23日、仏印南部を航行中の船団は空襲を受け、護衛の第35号駆潜艇が沈没した。船団は24日にバンロ湾に仮泊。その後ツーランで後続のヒ88H船団に合流した。 編制輸送船タンカー - 第一弥栄丸、第二高砂丸(2ET型戦時応急タンカー)、第三十南進丸(2ET型戦時応急タンカー) 護衛艦海防艦 - 31号 駆潜艇 - 第20号駆潜艇、第34号駆潜艇、第35号駆潜艇 ヒ88H船団 加入輸送船は5隻で、永昭丸(飯野海運:2,860総トン)には推定4,000tの航空用ガソリンを、日翼丸(日産汽船:1,943総トン)には重油2,000tを搭載していた。2月16日にシンガポールを出航。途中で鳳南丸(拿捕船/飯野海運運航:5542総トン、旧イギリス船War Sirdar )がサンジャックに向かうため分離。22日、インドシナ半島ファンラン湾沖を航行中の船団は米潜水艦ベクーナから発見され、日翼丸にベクーナの発射した魚雷1本が命中し沈没した。同日にナトラン湾に仮泊し2月23日午前、インドシナ半島バレラ岬沖南方20キロ地点を航行中の船団は米潜水艦ハンマーヘッドに発見され、護衛の海防艦屋久の艦首にハンマーヘッドの魚雷2本が命中して沈没した。25日にツーランに到着しヒ88G船団と合流。28日に海南島楡林に寄港。3月1日の23時ごろ、夜間空襲を受けて永昭丸が被弾沈没した。2日に後水湾に仮泊するも、仮泊中の3日に空襲を受け、第一弥栄丸が被弾して沈没した。船団は3月14日に生月島に仮泊し3月17日に六連島泊地に到着した。 編制輸送船タンカー - 永昭丸、日翼丸(D型平時標準船改装の応急タンカー)、鳳南丸(サンジャック行き)、第一弥栄丸(ヒ88G船団)、第二高砂丸(2ET型戦時応急タンカー、ヒ88G船団) 護衛艦海防艦 - 屋久、13号 駆潜艇 - 第20号駆潜艇 ヒ88I船団 加入輸送船は6隻。船団は3月5日にシンガポールを出航。15日にサンジャックに到着し、ここでサンジャック止まりの輸送船1隻を分離。同地で特設駆潜艇「開南丸」(台湾総督府:524総トン)をくわえた船団は3月19日に同地を出港していった。ところが3月20日夕刻、インドシナ半島パラダン岬南西7キロ地点で接岸航行をしていた船団は米潜水艦ブレニーから発見され、山国丸(日本海洋漁業:557総トン)、宝泉丸(アルコール輸送:1,039総トン)、第二十一南進丸(南方油槽船、834トン)がそれぞれブレニーの魚雷で沈没、翌21日には米潜水艦バヤにも発見された。バヤも折から飛来したB-25の大群と呼応して船団を攻撃し、開南丸が沈没した。護衛の第9号駆潜艇の反撃によりバヤの撃退に成功した。しかしバンフォン湾湾口付近でB-25の爆撃を受け、第二伏見丸(東洋海運:779総トン)、第六高砂丸(蓬莱タンカー:834総トン)および護衛の立石、第33号駆潜艇が沈没、第9号駆潜艇が小破した。護衛艦のみとなった船団はナトラン湾に入り、後続のヒ88J船団に合流した。 編制輸送船タンカー - 山国丸、宝泉丸(1TS型戦時標準タンカー)、第6高砂丸、第二十一南進丸 貨物船 - 第二伏見丸 その他 - 特設駆潜艇開南丸ほかサンジャック行きの輸送船1隻 護衛艦駆潜艇 - 第9号駆潜艇、第33号駆潜艇 その他 - 敷設艇立石 ヒ88J船団 詳細は「ヒ88J船団」を参照 ヒ96船団 加入輸送船は3隻で、光島丸(日本郵船:10,045総トン)には原油12,000t、重油1,300t、錫60t、ジルコン59t、便乗者73人を、富士山丸(飯野海運:10,238総トン)には原油16,000tを積載していた。2月22日にシンガポールを出航。27日未明、インドシナ半島カムラン湾口付近で航行をしていた船団は米潜水艦ブレニーに発見され、1時35分ごろにあまと丸(石原汽船:10,238トン)にブレニーの発射した魚雷が命中して沈没した。3月1日に海南海峡西方を航行中の船団はB-29の爆撃を受け、光島丸の船首に大穴があいたため、光島丸は護衛の海防艦8号、66号とともに香港に向かうべく分離。船団は3月1日に後水湾、3日に雷白湾。5日に万山島西方で仮泊。7日に廈門に寄港し、8日に北開港、10日に泗礁山、11日に薪智島、12日に加徳水道に仮泊し、13日に門司に到着した。光島丸は、3月7日に香港に到着し積荷の一部陸揚げと船体の応急修理後の3月18日に香港を出港した。22日に廈門沖で貨物船明島丸(飯野海運:3,028総トン)と護衛の海防艦新南、宇久と合流、23日に泗礁山に仮泊、3月27日に門司に到着した。 編制輸送船タンカー - 光島丸(2TL型戦時標準タンカー)、富士山丸(2TL型戦時標準タンカー)、あまと丸(2TL型戦時標準タンカー) 護衛艦海防艦 - 稲木、8号、66号、81号
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