大内建二による11次に渡る船団とは? わかりやすく解説

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大内建二による11次に渡る船団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 18:03 UTC 版)

南号作戦」の記事における「大内建二による11次に渡る船団」の解説

ヒ88A船団 詳細は「せりあ丸」を参照 加入輸送船は1隻で、せりあ丸には航空用ガソリン17,000tを積載していた。1月20日シンガポール出港船団シンゴラ沖に仮泊してタイ湾横断。、1月23日フランス領インドシナサンジャック到着護衛艦交代後、1月24日出港1月27日にチョンメイ湾で仮泊した。船団大陸海岸沿いに進み2月3日船団上海沖合到着護衛艦の再交代後、船団黄海横断し2月6日朝鮮鎮海到着。ここで護衛艦加え2月7日午後4時半に門司港外の六連島泊地到着した編制輸送船タンカー - せりあ丸2TL型戦時標準タンカー護衛艦駆潜艇 - 2隻(サンジャックまで) 海防艦 - 第41号(サンジャックから上海まで)、205号(サンジャックから上海まで)、笠戸5日から)、沖縄鎮海から) 駆逐艦 - 上海から)、上海から) ヒ88B船団 加入輸送船は3隻で、大越丸(大阪商船、6,890トン)には重油約8,000t、錫570t、ゴム1,200t、便乗12名を、延喜丸(日本郵船、6,968トン)には重油7,096t、錫500t、生ゴム1,600t、雑貨2,200t、郵便物206個、便乗21名を積載していた。1月28日シンガポール出港船団サイゴン到着し、第60海防艦加入して出港しサンジャック向かったサンジャック到着した船団はここで辰珠丸拿捕船/辰馬汽船運航:3,242総トン、旧アメリカAdmiral Y S Willams )を分離サンジャック出港した船団1月31日インドシナ半島バタンガン岬北方航行中に米潜水艦ボアフィッシュに発見され明け方5時50分ごろに大越丸と延喜丸の2隻にボアフィッシュの魚雷命中し延喜丸は船体折損して8時5分ごろに沈没した大越丸は損傷甚だしく沿岸座礁し放棄された後、第14空軍機によって破壊され船団消滅した編制輸送船タンカー - 大越丸(2AT型戦時応急タンカー)、延喜丸(2AT型戦時応急タンカー貨物船 - 辰珠丸サンジャックまで) 護衛艦海防艦 - 能美、第60号(サイゴンから) 哨戒艇 - 第104哨戒艇 駆潜艇 - 第20号駆潜艇 ヒ88C船団 加入輸送船は2隻で、延長丸(日本郵船:6,888総トン)には重油7,000t、錫、生ゴム積載していた。1月31日シンガポール出航船団2月8日キノン湾仮泊2月11日海南島楡林到着する同地聖川丸川崎汽船:6862総トン)を加入し2月12日空襲を受け、聖川丸至近弾により損傷した同日湾に仮泊2月14日舟山列島沖合聖川丸分離した2月16日金門湾、2月17日南日島それぞれ仮泊2月21日揚子江沖で延長丸、三宅第20号掃海艇分離し上海回航する船団2月27日門司到着した延長丸、三宅第20号掃海艇21日上海到着重油3,500tを陸揚げして出航し3月2日門司到着した編制輸送船タンカー - 延長丸(2AT型戦時応急タンカー)、大江山丸(大阪商船:6,890総トン2AT型戦時応急タンカー貨物船 - 聖川丸舟山列島まで) 護衛艦海防艦 - 干珠三宅 掃海艇 - 第20号掃海艇 ヒ88D船団 加入輸送船は3隻で、延元丸(日本郵船:6,890総トン)には重油7,110t、生ゴム1,195t、錫17t他あわせて8,854tの積荷と、便乗者7名を、大暁丸大阪商船:6,892総トン)には重油ゴム、錫他9,300tの積荷郵便31個、便乗12名をそれぞれ積載していた。2月4日シンガポール出航し2月6日未明ホーチミン市南方470キロ地点航行中船団は米潜水艦パンパニトから発見され延元丸の右舷機関室にパンパニトの魚雷1本が命中し沈没した2月7日には米潜水艦ガヴィナから発見され、大暁丸にガヴィナの魚雷3本命中し沈没していった。治靖丸(拿捕船/日本郵船運航:3,033総トン、旧オランダVan Der Hagen )だけとなった船団8日ベトナムサイゴン到着したところで途中解散となった編制輸送船タンカー - 延元丸(2AT型戦時応急タンカー)、大暁丸2AT型戦時応急タンカー貨物船 - 治靖丸 護衛艦海防艦 - 屋久、13号31号 ヒ88E船団 加入輸送船は2隻で、重油生ゴム、錫を積載していた。2月11日シンガポール出航船団肉眼による見張りしにくい夜間避けて航行していた。2月15日カムラン湾16日仏印クサンデー湾、17日にバタンガン湾、18日ツーラン21日濃霧のため海南海峡に、22日牛角山南西、24日に古頭山西方28日群島3月2日大洋山島6日仇里湾、7日対馬三浦湾それぞれ仮泊9日門司到着した編制輸送船タンカー - 延慶丸(日本郵船:6,892総トン2AT型戦時応急タンカー)、神祐丸(大阪商船:6,956総トン2AT型戦時応急タンカー護衛艦海防艦 - 132哨戒艇 - 第104哨戒艇 駆潜艇 - 第63号駆潜艇 ヒ88F船団 加入輸送船は2隻。2月11日5時10分ごろにシンガポール出航6時ごろ、護衛海防艦能美シンガポール水道東口ホルスバーク灯台北々東18kmで機雷触れ損傷2月14日香港沖で空襲を受け、護衛海防艦能美被弾しさらに損傷した船団香港向かい同地能美分離海防艦60号を加入して出航3月8日門司到着した編制輸送船栄丸、福栄護衛艦海防艦 - 能美香港まで)60号(香港から) 掃海艇 - 第34掃海艇 ヒ88G船団 加入輸送船は3隻で、第一弥栄丸共栄タンカー;834総トン)には原油1,700t、便乗21名を、第二高砂丸蓬莱タンカー:834総トン)には推定1,500tの石油積載していた。2月14日シンガポール出航船団21日サンジャック到着。ここで第三南進丸(南方輸送船:834総トン)を分離23日仏印南部航行中船団空襲を受け、護衛の第35号駆潜艇沈没した船団24日にバンロ湾に仮泊その後ツーラン後続のヒ88H船団合流した編制輸送船タンカー - 第一弥栄丸第二高砂丸2ET型戦時応急タンカー)、第三南進丸(2ET型戦時応急タンカー護衛艦海防艦 - 31駆潜艇 - 第20号駆潜艇、第34駆潜艇、第35号駆潜艇 ヒ88H船団 加入輸送船は5隻で、永昭丸(飯野海運:2,860総トン)には推定4,000tの航空用ガソリンを、日翼丸(日産汽船:1,943総トン)には重油2,000tを搭載していた。2月16日シンガポール出航途中で南丸(拿捕船/飯野海運運航:5542総トン、旧イギリスWar Sirdar )がサンジャックに向かうため分離22日インドシナ半島ファンラン湾沖を航行中船団は米潜水艦ベクーナから発見され、日翼丸にベクーナの発射した魚雷1本が命中し沈没した同日ナトラン湾に仮泊2月23日午前インドシナ半島バレラ岬沖南方20キロ地点航行中船団は米潜水艦ハンマーヘッド発見され護衛海防艦屋久の艦首ハンマーヘッド魚雷2本が命中して沈没した25日ツーラン到着しヒ88G船団合流28日海南島楡林寄港3月1日23時ごろ、夜間空襲受けて永昭丸が被弾沈没した2日に後湾に仮泊するも、仮泊中の3日空襲を受け、第一弥栄丸被弾して沈没した船団3月14日生月島仮泊3月17日六連島泊地到着した編制輸送船タンカー - 永昭丸、日翼丸(D型平時標準船改装応急タンカー)、南丸(サンジャック行き)、第一弥栄丸(ヒ88G船団)、第二高砂丸2ET型戦時応急タンカー、ヒ88G船団護衛艦海防艦 - 屋久、13号 駆潜艇 - 第20号駆潜艇 ヒ88I船団 加入輸送船は6隻。船団3月5日シンガポール出航15日サンジャック到着し、ここでサンジャック止まり輸送船1隻を分離同地特設駆潜艇開南丸」(台湾総督府:524総トン)をくわえた船団3月19日同地出港していった。ところが3月20日夕刻インドシナ半島パラダン岬南西7キロ地点接岸航行をしていた船団は米潜水艦ブレニーから発見され山国丸(日本海洋漁業:557総トン)、宝泉丸(アルコール輸送:1,039総トン)、第二十一南進丸(南方油槽船、834トン)がそれぞれブレニー魚雷沈没、翌21日には米潜水艦バヤにも発見された。バヤ折から飛来しB-25大群呼応して船団攻撃し開南丸沈没した護衛第9号駆潜艇反撃によりバヤ撃退成功した。しかしバンフォン湾湾口付近B-25爆撃を受け、第二伏見丸(東洋海運:779総トン)、第六高砂丸蓬莱タンカー:834総トン)および護衛立石、第33号駆潜艇沈没第9号駆潜艇小破した。護衛艦のみとなった船団ナトラン湾に入り後続ヒ88J船団合流した編制輸送船タンカー - 山国丸、宝泉丸(1TS型戦時標準タンカー)、第6高砂丸第二十一南進貨物船 - 第二伏見丸 その他 - 特設駆潜艇開南丸ほかサンジャック行き輸送船1隻 護衛艦駆潜艇 - 第9号駆潜艇、第33号駆潜艇 その他 - 敷設艇立石 ヒ88J船団 詳細は「ヒ88J船団」を参照96船団 加入輸送船は3隻で、光島丸日本郵船:10,045総トン)には原油12,000t、重油1,300t、錫60t、ジルコン59t、便乗73人を、富士山丸飯野海運:10,238総トン)には原油16,000tを積載していた。2月22日シンガポール出航27日未明インドシナ半島カムラン湾付近航行をしていた船団は米潜水艦ブレニー発見され、1時35分ごろにあまと丸(石原汽船:10,238トン)にブレニー発射した魚雷命中して沈没した3月1日海南海峡西方航行中船団B-29爆撃を受け、光島丸船首大穴あいたため、光島丸護衛海防艦8号66とともに香港に向かうべく分離船団3月1日に後湾、3日白湾。5日万山西方仮泊7日廈門寄港し8日北開港、10日に泗礁山、11日智島、12日加徳水道仮泊し、13日門司到着した光島丸は、3月7日香港到着し積荷一部陸揚げ船体応急修理後の3月18日香港出港した22日廈門沖で貨物船明島丸(飯野海運:3,028総トン)と護衛海防艦新南宇久合流23日に泗礁山に仮泊3月27日門司到着した編制輸送船タンカー - 光島丸2TL型戦時標準タンカー)、富士山丸2TL型戦時標準タンカー)、あまと丸(2TL型戦時標準タンカー護衛艦海防艦 - 稲木8号66号、81

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