第6の哨戒 1943年2月・喪失とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1943年2月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:38 UTC 版)

グランパス (SS-207)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月・喪失」の解説

2月11日グランパス6回目哨戒グレイバックと共にソロモン諸島方面向かった。しかし、グランパス帰還することはなかった。グランパスとの連絡何度も試みられたが応答はなく、喪失宣言された。グランパス1943年6月21日除籍された。 グランパス喪失はいまだ謎のままである第九五八海軍航空隊の2機の零式水上偵察機2月19日15時40分にグランパス哨戒海域であった南緯0504東経15218分 / 南緯5.067度 東経152.300度 / -5.067; 152.300の地点潜水艦爆撃し直撃弾1発を与えて沈没報告している。しかしながらグレイバック3月5日夜にベララベラ島沿岸部グランパス視認したことを報告している。この前後に同海域ではアンバージャック (USS Amberjack, SS-219) も2月16日撃沈されており、両者取り違えた可能性もある。第九五八海軍航空隊アンバージャック撃沈にもからんでいる。 長らく言われている説としては、3月5日日本海軍駆逐艦峯雲村雨コロンバンガラ島付近行われたビラ・スタンモーア夜戦直前攻撃行い翌朝濃い重油の跡が同海域確認され駆逐艦攻撃によりグランパス撃沈されたことが予想された、というものであるグランパス行動海域峯雲村雨のそれがたまたま一致したことによる考察であるが、峯雲村雨間もなくビラ・スタンモーア夜戦喪失し行動確認がほとんど出来ないゆえ、この角度からのこれ以上検証はほぼ不可能である。わずかなヒントとしては、艦船研究家木俣滋郎著作である『敵潜水艦攻撃』の56ページにある「近くにいたグレイバック爆雷などの爆発音聞いていない(それゆえ浮上状態で撃沈された)」、「夜戦から生還した村雨駆逐艦長種子島洋二少佐の『ソロモン海セ号作戦』(1975年)には記載されていない」、「2月24日付近潜水艦目撃した」という記述がある。しかしながら各種記述ともグランパス喪失原因に結びつけて断定できるほどの材料そろっていないのも事実であり、グランパス喪失現時点では謎とせざるを得ないグランパス第二次世界大戦戦功で3個の従軍星章受章した。第1、第4、第5回目の哨戒成功して記録された。

※この「第6の哨戒 1943年2月・喪失」の解説は、「グランパス (SS-207)」の解説の一部です。
「第6の哨戒 1943年2月・喪失」を含む「グランパス (SS-207)」の記事については、「グランパス (SS-207)」の概要を参照ください。

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