第6の哨戒 1943年2月・喪失
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「グランパス (SS-207)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月・喪失」の解説
2月11日、グランパスは6回目の哨戒でグレイバックと共にソロモン諸島方面に向かった。しかし、グランパスは帰還することはなかった。グランパスとの連絡は何度も試みられたが応答はなく、喪失が宣言された。グランパスは1943年6月21日に除籍された。 グランパスの喪失はいまだ謎のままである。第九五八海軍航空隊の2機の零式水上偵察機が2月19日15時40分にグランパスの哨戒海域であった南緯05度04分 東経152度18分 / 南緯5.067度 東経152.300度 / -5.067; 152.300の地点で潜水艦を爆撃し、直撃弾1発を与えて沈没を報告している。しかしながらグレイバックは3月5日夜に、ベララベラ島沿岸部でグランパスを視認したことを報告している。この前後に同海域ではアンバージャック (USS Amberjack, SS-219) も2月16日に撃沈されており、両者を取り違えた可能性もある。第九五八海軍航空隊はアンバージャックの撃沈にもからんでいる。 長らく言われている説としては、3月5日に日本海軍の駆逐艦峯雲と村雨がコロンバンガラ島付近で行われたビラ・スタンモーア夜戦の直前に攻撃を行い、翌朝濃い重油の跡が同海域で確認され、駆逐艦の攻撃によりグランパスが撃沈されたことが予想された、というものである。グランパスの行動海域と峯雲と村雨のそれがたまたま一致したことによる考察であるが、峯雲と村雨が間もなくビラ・スタンモーア夜戦で喪失し、行動の確認がほとんど出来ないゆえ、この角度からのこれ以上の検証はほぼ不可能である。わずかなヒントとしては、艦船研究家の木俣滋郎の著作である『敵潜水艦攻撃』の56ページにある「近くにいたグレイバックは爆雷などの爆発音を聞いていない(それゆえ、浮上状態で撃沈された)」、「夜戦から生還した、村雨駆逐艦長種子島洋二少佐の『ソロモン海セ号作戦』(1975年)には記載されていない」、「2月24日に付近で潜水艦を目撃した」という記述がある。しかしながら、各種記述ともグランパスの喪失原因に結びつけて断定できるほどの材料がそろっていないのも事実であり、グランパスの喪失は現時点では謎とせざるを得ない。 グランパスは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。第1、第4、第5回目の哨戒が成功して記録された。
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