第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:24 UTC 版)

アスプロ (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月」の解説

11月21日アスプロ6回目哨戒準備のためにサイパン島向かったが、1週間後11月28日に第1主発電機が、部品交換必要なレベル故障起こしアスプロ修理のために真珠湾引き返した1週間に及ぶ修理の後、12月13日改め6回目哨戒ルソン海峡方面向かったアスプロ台湾西部沖の哨区で艦船攻撃第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)による台湾攻撃支援任務就いた1945年1月3日アスプロ北緯2157東経11944分 / 北緯21.950度 東経119.733度 / 21.950; 119.733の高雄南南西90キロ地点で、ひどく破損したタンカー思しき船舶発見し魚雷発射、2本が命中して船は沈んでいった。これが陸軍特殊船神州丸最期であり、神州丸は少し前に第38任務部隊機の攻撃によって大破し炎上放棄されいたものであったアスプロ神州丸知床型給油艦だと判断していた。1月6日にも小型貨物船2隻に対し攻撃した他、4名のパイロット救出アスプロ艦船攻撃機動部隊支援の両方成果出した2月2日サイパン島寄港2月11日アスプロ59日間行動終えて真珠湾帰投次いでカリフォルニア州ハンターズ・ポイント海軍造船所オーバーホールに入るべく回航された。オーバーホールには3ヵ月費やされた。艦長ジェームス・H・アシュレー・ジュニア(アナポリス1934年組)に代わった。

※この「第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月」の解説は、「アスプロ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月」を含む「アスプロ (潜水艦)」の記事については、「アスプロ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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