第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月
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「アスプロ (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1944年11月 - 1945年2月」の解説
11月21日、アスプロは6回目の哨戒の準備のためにサイパン島に向かったが、1週間後の11月28日に第1主発電機が、部品交換が必要なレベルの故障を起こし、アスプロは修理のために真珠湾に引き返した。1週間に及ぶ修理の後、12月13日に改めて6回目の哨戒でルソン海峡方面に向かった。アスプロは台湾西部沖の哨区で艦船攻撃と第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)による台湾攻撃の支援任務に就いた。1945年1月3日、アスプロは北緯21度57分 東経119度44分 / 北緯21.950度 東経119.733度 / 21.950; 119.733の高雄南南西90キロ地点で、ひどく破損したタンカーと思しき船舶を発見し魚雷を発射、2本が命中して船は沈んでいった。これが陸軍特殊船神州丸の最期であり、神州丸は少し前に第38任務部隊機の攻撃によって大破し炎上、放棄されていたものであった。アスプロは神州丸を知床型給油艦だと判断していた。1月6日にも小型貨物船2隻に対し攻撃した他、4名のパイロットを救出。アスプロは艦船攻撃と機動部隊支援の両方で成果を出した。2月2日にサイパン島に寄港。2月11日、アスプロは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。次いでカリフォルニア州のハンターズ・ポイント海軍造船所でオーバーホールに入るべく回航された。オーバーホールには3ヵ月が費やされた。艦長がジェームス・H・アシュレー・ジュニア(アナポリス1934年組)に代わった。
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