第6の哨戒 1944年3月 - 5月
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「ティノサ (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1944年3月 - 5月」の解説
3月29日、ティノサは6回目の哨戒でパーチー (USS Parche, SS-384) およびバング (USS Bang, SS-385) とウルフパックを構成し、東シナ海およびルソン海峡方面に向かった。4月30日朝、ティノサは北緯18度53分 東経119度09分 / 北緯18.883度 東経119.150度 / 18.883; 119.150の地点でタマ17船団を発見し、魚雷を6本発射。ティノサは5,500トン級輸送船1隻の撃沈を報じ、7,500トン級タンカーと別の5,500トン級輸送船各1隻の撃破を報じた。他、バングが2隻の輸送船、竹川丸(川崎汽船、1,930トン)と日達丸(日産汽船、2,859トン)を撃沈した。5月3日朝、ティノサは複数のマストを発見し、パーチーとバングに通報。水上航行と潜航を繰り返しながら目標、海南島から鉄鉱石を積載して台湾経由日本本土に向かっていたテ04船団に接近し、5月4日0時8分に2つの目標に向けて魚雷を3本ずつ計6本発射。うち3本が輸送船豊日丸(大同海運、6,436トン)に命中し、豊日丸は轟沈した。別の「6,000トン輸送船」にも魚雷が2本命中したように見えた。テ04船団は西方に遁走するが、1時間後に輸送船金嶺丸(東亜海運、5,949トン)が被雷沈没。その間、ティノサは2時30分ごろに浮上し、高速でテ04船団を探し求めた。やがて新たな目標を発見し、魚雷を4本発射して3つの命中を確認する。パーチーからの報告を受信して別の目標を求め、1時間後の5時過ぎに新たな輸送船を発見して魚雷を4本発射し、2つの爆発を確認したが様子は定かではなかった。夜明けとともに一時接触を失うが、10時前に北緯20度58分 東経118度08分 / 北緯20.967度 東経118.133度 / 20.967; 118.133の地点で輸送船を発見して魚雷を4本発射し、2つの爆発を確認したが、こちらも様子は定かではなかった。テ04船団への攻撃は陸軍輸送船楡林丸(拿捕船、6,022トン)を逃した以外は完勝だった。ティノサは豊日丸のほかに輸送船大武丸(大阪商船、6,440トン)を撃沈したと認定され、金嶺丸撃沈はバングの手に帰し、2隻の輸送船、大翼丸(大阪商船、5,244トン)と昌龍丸(大連汽船、6,475トン)はパーチーが撃沈したと認定された。5月9日には北緯22度20分 東経146度40分 / 北緯22.333度 東経146.667度 / 22.333; 146.667の地点でトロール船の群れを攻撃し、浮上砲戦によって1隻を撃沈し3隻を撃破したと報じた。5月15日、ティノサは46日間の行動を終えてマジュロに帰投。改修を受けた。
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