第6の哨戒 1944年4月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1944年4月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:28 UTC 版)

タニー (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説

装備の後に、4月29日タニー6回目哨戒フィリピン海向かった途中ミルン湾補給し、ランゲマク湾(英語版)を経てサイパン島グアム中間海域到着しばらくの間多く敵機目撃した5月17日タニーサンドランス (USS Sand Lance, SS-381) からの情報基づいて第3503船団から分離したパラオへ向かう輸送船団待ち伏せし日没後に発見する北緯14度45分 東経14240分 / 北緯14.750度 東経142.667度 / 14.750; 142.667の2隻の別々の目標に対して魚雷3本ずつ発射し陸軍輸送船日和丸(日産汽船、4,955トン)の船尾魚雷命中するのを確認してから深深度に潜航していった。しばらくすると爆雷攻撃始まり81発の爆雷投下されたがタニー損傷はなく、東南方向進んだタニー5月18日0時過ぎに浮上して日和丸が炎上しながら沈没するのを目撃したタニーは同海域哨戒続け5月29日にはシルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) がいるあたりで輸送船団攻撃される様子目撃し5月30日にシルバーサイズから攻撃報告受けた6月8日タニーはピンタド (USS Pintado, SS-387) およびパイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386) とウルフパック Blair Blasters (ブレア発破者たち)を構成しルソン海峡方面移動した6月14日バリンタン海峡通過し、翌15日にはルソン島接近して以後しばらくはバリンタン海峡周辺で敵を探した6月16日タニー北緯2010東経12118分 / 北緯20.167度 東経121.300度 / 20.167; 121.300の地点100トンサンパン発見して浮上砲戦撃沈したその後フィリピン海6月22日まで哨戒行い6月29日ミッドウェー島到着7月2日タニー66日間行動終えて真珠湾帰投艦長ジョージ・E・ピアース少佐アナポリス1932年組)に代わった。

※この「第6の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説は、「タニー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第6の哨戒 1944年4月 - 6月」を含む「タニー (潜水艦)」の記事については、「タニー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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