第6の哨戒 1944年9月 - 10月
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「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第6の哨戒 1944年9月 - 10月」の解説
9月5日、ボーンフィッシュは6回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。9月10日から12日までダーウィンに寄港の後、最初はシブヤン海方面で哨戒したが、この海域では敵の姿を全く見ず、ボーンフィッシュは9月24日にシブヤン海を去った。9月27日未明、ボーンフィッシュは北緯13度48分 東経119度38分 / 北緯13.800度 東経119.633度 / 13.800; 119.633のマニラ西方240海里の海域で1隻のタンカーと2隻の護衛艦を探知し、魚雷を4本発射して1本命中させた。この攻撃で、特務艦神威を大破させた。翌9月28日未明には、北緯13度16分 東経120度08分 / 北緯13.267度 東経120.133度 / 13.267; 120.133のミンドロ島沖で2隻の護衛艦に護衛されたタンカー 安城丸 (拿捕船、元オランダ船アンジェリーナ/飯野海運委託、2,086トン)を発見し、魚雷を6本発射して2本命中させた。ボーンフィッシュは、魚雷が命中した安城丸が急速に速力が低下していく姿を観測し続けた。戦後の日本の記録では、安城丸はこのまま沈没したと結論付けられた。 9月30日、ボーンフィッシュはフラッシャー、レイポン (USS Lapon, SS-260) と合流してウルフパックを構成した。10月10日、ボーンフィッシュはレイポンとともに北緯16度20分 東経119度45分 / 北緯16.333度 東経119.750度 / 16.333; 119.750のルソン島ボリナオ岬近海でタマ29船団を発見、4,000トン級輸送船に対して魚雷を6本発射し、3つの命中を得たと判断された。レイポンは輸送船江尻丸(日本郵船、6,968トン)を撃沈した。この後、ボーンフィッシュはルソン島を攻撃する第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に対する救助配備任務にも就く。10月14日、ボーンフィッシュは北緯16度17分 東経119度45分 / 北緯16.283度 東経119.750度 / 16.283; 119.750のリンガエン湾南西沖で2隻の輸送船と護衛艦を発見し、二番目の目標に対して魚雷を4本発射。魚雷は輸送船伏見丸(東洋海運、2,546トン)に命中してこれを撃沈した。10月19日未明には、空母バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-9) 所属の2名のパイロットを救助した。その夜、ボーンフィッシュは哨戒海域を去り、10月27日にサイパン島に入港して燃料を補給した。11月8日、ボーンフィッシュは62日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、11月18日から1945年2月13日までベスレヘム・スチールでオーバーホールに入った。終了後、モントレーで訓練を行い、3月20日に真珠湾に戻った後、次期哨戒のためグアムアプラ港に回航された。
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