第6の哨戒 1943年8月 - 9月
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「ハリバット (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年8月 - 9月」の解説
8月20日、ハリバットは6回目の哨戒でシーレイヴン (USS Searaven, SS-196) 、ポンパーノ (USS Pompano, SS-181) とともに日本近海に向かった。8月29日朝、ハリバットは北緯40度03分 東経142度01分 / 北緯40.050度 東経142.017度 / 40.050; 142.017の野田湾内に時雨型駆逐艦と思われる艦艇に護衛された輸送船を発見し、駆逐艦に対して魚雷を3本ずつ二度発射するが、逆に察知されて爆雷攻撃を受け、ハリバットは深深度潜航で避退。爆雷は43発投下されてハリバットは8時間もの間じっとせざるを得ず、その後浮上したが目標は去った後だった。翌8月30日、ハリバットは北緯41度53分 東経141度10分 / 北緯41.883度 東経141.167度 / 41.883; 141.167の恵山岬灯台沖で輸送船大文丸(太洋海運、6,581トン)を発見して魚雷を3本発射し、1本を命中させて撃沈。この時も護衛艦から24発の爆雷を投下されたが、ハリバットは機雷が敷設されているこの海域を難なく切り抜けた。9月5日早朝、ハリバットは北緯41度22分 東経141度30分 / 北緯41.367度 東経141.500度 / 41.367; 141.500の地点で3隻の輸送船団を探知し、魚雷を3本ずつ二度発射したが、輸送船泰来丸(大連汽船、4,273トン)などに向かった魚雷は全て回避された。9月6日早朝には北緯42度13分 東経142度00分 / 北緯42.217度 東経142.000度 / 42.217; 142.000の門別沖で輸送船正元丸(酒井商店、3,362トン)をレーダーで探知し、まず2本を発射して2本とも命中させ、続いてもう2本発射するが命中はしなかったが、正元丸は間もなく沈没。艦首発射管に装備してあった魚雷を全て撃ち尽くしたハリバットは、正元丸を撃沈した後南下する。同日20時26分ごろ、ハリバットは北緯41度40分 東経142度20分 / 北緯41.667度 東経142.333度 / 41.667; 142.333の地点でレーダーにより高速で航行する目標を探知。ハリバットは相手を駆逐艦であると判断しつつ攻撃。艦尾発射管から魚雷4本を発射し、1本が命中したのは確認できたが、別段変化はなかった。この相手は大湊から幌筵島に向かっていた重巡洋艦那智であり、魚雷は那智の後部煙突直下と舵付近の艦尾に命中したものの2本とも不発に終わり、船体がへこんだことと若干の浸水が生じたこと以外は何もなかったが、爆発していれば航行不能の可能性もあった。この時点で、残りの魚雷がたった1本になったので、ハリバットは哨戒を切り上げて帰る事とした。帰途の9月8日には北緯40度51分 東経145度38分 / 北緯40.850度 東経145.633度 / 40.850; 145.633の地点で150トン級サンパンを破壊した。9月16日、ハリバットは28日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 哨戒の合間の修理中の10月5日から8日にかけて、ハリバットはカホオラウェ島近海で魚雷に関する試験に従事した以前から不発や真っ直ぐに走らない魚雷に対する不満が潜水艦艦長から挙がっており、起爆装置などを改良することとなった。ハリバットには改良された魚雷が搭載され実験を実施。その結果は、従来のものより3倍も成績が向上していた。しかし、この試験の最終日にハリバットは潜望鏡深度で護衛駆逐艦と衝突し、潜望鏡を破損した。
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