察哈爾民衆抗日同盟軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 察哈爾民衆抗日同盟軍の意味・解説 

察哈爾民衆抗日同盟軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 03:58 UTC 版)

察哈爾民衆抗日同盟軍(チャハルみんしゅうこうにちどうめいぐん)は、またの名を察綏抗日同盟軍という。1933年馮玉祥方振武吉鴻昌などの中国人将校が察哈爾(チャハル)で組織した中国共産党指導下の抗日部隊の一つである。




「察哈爾民衆抗日同盟軍」の続きの解説一覧

察哈爾民衆抗日同盟軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:44 UTC 版)

吉鴻昌」の記事における「察哈爾民衆抗日同盟軍」の解説

1932年民国21年1月吉鴻昌帰国し共産党華北政治保衛局などと連絡取り合う8月には湖北省旧部隊の蜂起敢行しようと図った。しかし、これは失敗終わり国民政府から指名手配受けてしまう。同年秋、吉は正式に共産党加入した9月からは馮玉祥密談し張家口などで抗日反蔣の蜂起準備し始める。翌1933年民国22年1月長城抗戦勃発する同年5月26日、馮と吉は、張家口で察哈爾民衆抗日同盟軍の成立宣言した。馮が総司令佟麟閣第1軍軍長、吉が第2軍軍長となっている。6月20日、吉は前敵総指揮任命され7月12日にはドロンノール多倫)を急襲攻略する軍功をあげ、国内でも大きな名声得た。 しかし、国民政府中央の蔣介石汪兆銘汪精衛)は同盟軍存在許さず何応欽命じて同盟軍包囲して圧力加えたこのため8月4日には馮玉祥下野追い込まれ同盟軍事実上解散となった同盟軍多く宋哲元軍に合流したものの、吉鴻昌方振武はこれに応じず、抗日反蔣の軍事活動継続する。しかし日本軍国民党軍挟み撃ち遭うとなって軍の損害大きく10月16日吉・方国民革命軍32軍長商震事実上降伏した北平護送される途中、方は吉の助言により脱走し、吉も護送人員配慮により逃亡している。

※この「察哈爾民衆抗日同盟軍」の解説は、「吉鴻昌」の解説の一部です。
「察哈爾民衆抗日同盟軍」を含む「吉鴻昌」の記事については、「吉鴻昌」の概要を参照ください。


察哈爾民衆抗日同盟軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 04:51 UTC 版)

方振武」の記事における「察哈爾民衆抗日同盟軍」の解説

北伐終了後軍縮に伴い方振武は第45師長任じられる1929年民国18年3月国民党中央執行委員選出された。4月には、討逆軍第6路総指揮等に任じられ5月には安徽省政府主席務めた。ところが、反蔣介石派に対す方針めぐって蔣介石次第対立するうになる。そして韓復榘石友三らと反蔣の企て図ったとして同年9月に方は逮捕され湯山陸軍監獄収監される。1930年民国19年10月には、党籍剥奪1年処罰受けた1931年民国20年10月処分解除され党中央執行委員として復帰したが、方振武は再び馮玉祥との連携強めるようになる1933年民国22年2月、晋南で抗日救国軍を組織し総指揮として北上抗日呼びかけた。5月26日馮玉祥吉鴻昌らと察哈爾民衆抗日同盟軍に参加し、副総司令、兼北路前敵総司令6月20日~)をつとめた。しかし、蔣介石圧力などもあって抗日同盟軍解散追い込まれ、方は香港逃れた香港では、中華民族解放行動委員会加わり1938年民国27年3月中央委員選出された。 1941年民国30年12月日本軍による香港占領に伴い逃走したが、その途中広東省中山県何者かにより暗殺された。享年60暗殺実行したのは青幇系の特務組織忠義救国軍(中国語版)」とされる

※この「察哈爾民衆抗日同盟軍」の解説は、「方振武」の解説の一部です。
「察哈爾民衆抗日同盟軍」を含む「方振武」の記事については、「方振武」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「察哈爾民衆抗日同盟軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「察哈爾民衆抗日同盟軍」の関連用語

察哈爾民衆抗日同盟軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



察哈爾民衆抗日同盟軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの察哈爾民衆抗日同盟軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの吉鴻昌 (改訂履歴)、方振武 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS