パレンバン空挺作戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > パレンバン空挺作戦の意味・解説 

パレンバン空挺作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:17 UTC 版)

挺進連隊」の記事における「パレンバン空挺作戦」の解説

蘭印作戦#パレンバン空挺作戦」も参照 1942年、パレンバン空挺作戦には挺進第1連隊投入される予定であったが、移動途中で輸送船明光丸」が発火事故起こして沈没し装備失ったうえ、パラチフスが隊内に流行したため、挺進第2連隊交代した2月14日挺進飛行戦隊、第12輸送飛行中隊飛行98戦隊物資投下担当)、飛行第64戦隊飛行第59戦隊戦闘機による直掩・間掩。戦闘機隊の総指揮官は第64戦隊長加藤建夫)の支援で、挺進第2連隊からなる第1挺進団・約400名が降下しオランダ軍守備隊戦闘結果パレンバン油田ロイヤル・ダッチ・シェル製油所、および飛行場2箇所をほぼ無傷制圧した原油中心とする「資源地帯の確保」は日本太平洋戦争開戦理由のひとつであり、陸海軍南方作戦における最重要攻略目標最重要戦略目標)である、東アジア屈指の産油パレンバン油田製油所確保した挺進連隊活躍目覚しいものであり、日本国内においてその戦果翌日大本営発表192号にて以下のように発表された。 「大本営発表2月15日午後5時10分。強力な帝国陸軍落下傘部隊は、2月14日午前1126分、蘭印最大油田地たる、スマトラ島パレンバン対す奇襲降下成功し、敵を撃破して、飛行場その他の要地占領確保するとともに、更に戦果拡張中なり。陸軍航空部隊は本作戦に密接に協力するとともに、すでにその一部は本15日午前同地飛行場躍進せり。終わり」 これはマスメディアなどでも大々的宣伝され、またのちに公開発表され映画軍歌合わせ空の神兵陸軍落下傘部隊として国民広く知られるようになった

※この「パレンバン空挺作戦」の解説は、「挺進連隊」の解説の一部です。
「パレンバン空挺作戦」を含む「挺進連隊」の記事については、「挺進連隊」の概要を参照ください。


パレンバン空挺作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:58 UTC 版)

蘭印作戦」の記事における「パレンバン空挺作戦」の解説

挺進連隊#パレンバン空挺作戦」も参照 スマトラ島パレンバン蘭印最大かつ東南アジア有数の大油田地帯であり、ロイヤル・ダッチ・シェル操業する製油所とともに太平洋戦争における日本軍最重要攻略目標であったパレンバンムシ川の河口からおよそ100キロ内陸位置するため、陸軍大発上陸用舟艇による攻撃では川を遡上している間に油田設備破壊されるおそれがあり、これを避け為にはまず空挺攻撃によってこれを奇襲占領し次いで地上部隊をもって確保する作戦が望ましいと考えられた。こうして第1挺進団団長久米精一大佐)が空挺降下し第38師団主力歩兵229連隊基幹兵力 12,360名)が支援する陸軍初の空挺作戦立案された。但し、第1挺進団挺進第1、第2連隊有していたものの、挺進第1連隊1月3日乗船明光丸」が積載品の自然発火起こして沈没し人員護衛駆逐艦救助されたが兵器資材全て失っていた。この為空挺降下挺進第2連隊329名のみで実施されることになった2月14日降下部隊第1梯団挺進兵らは、挺進飛行戦隊一〇〇式輸送機ロ式輸送機搭乗しマレー半島飛び立ち直掩機の「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊飛行第59戦隊一式戦闘機「隼」等と共にパレンバン向かった陥落直前シンガポールから立ち上る黒煙がはるか南までたなびき視界不良であった1130分、降下部隊パレンバン市街地北方10キロにある飛行場東西両側落下傘降下同時に久米大佐載せた団長機が湿地帯強行着陸し、これは完全な奇襲作戦となった。 これより前、ハドソンブレニムからなる連合軍飛行部隊スマトラ島上陸に向かう第38師団輸送船団攻撃出払っており、これら爆撃機掩護終えてパレンバン飛行場帰還してきた15機のハリケーン降下前の輸送機群に接近したしかしながら飛行部隊日本軍空挺作戦発動に全く気づかず、無線交信上手く使えず断雲視界が悪い為編隊バラバラになり、またロ式輸送機連合軍ハドソン誤認(ともにL-14 スーパーエレクトラライセンス生産型および派生型)していたことから迎撃後手回った。不意を突かれ飛行場からは守備隊高射砲が火を噴きハリケーンと第64戦隊一式戦「隼」との間に空中戦発生ハリケーンマクナマラ少尉機とマッカロック少尉機の2機が撃墜され、また2機が燃料切れ不時着し残りの機は敗走した一式戦「隼」損害無かった撃墜2機のうち、1機は戦隊長加藤建夫少佐戦果とされる)。 降下部隊逐次集結しつつ飛行場殺到したものの、飛行98戦隊九七式重爆撃機から別投下した火器弾薬入手できず、携行した拳銃手榴弾のみで戦闘せざるを得ない挺進兵も多かった市街地からは連合軍装甲車部隊500名が到着し激戦となったが、降下部隊21時までに飛行場確保した。 翌15日午後第2梯団パレンバン市街地南側湿地降下し第1梯団協力してパレンバン市街突入、同市を占領した戦果としては石油25トン英米若干その他の兵器資材鹵獲し、放火により油田設備一部火災発生したものの大規模破壊避けられた。死傷者は、降下人員329名中、戦死39名、戦傷入院37名、戦傷在隊11であった。第38師団主力14日バンカ島到着15日先遣隊パレンバン到着した師団主力18日パレンバン到着周辺地域確保し空挺作戦目的を完全に達成した。 なお、日本内地においては強力な帝国陸軍落下傘部隊は…」で始まる2月15日午後5時10分の大本営発表192号にて、挺進連隊活躍とパレンバン空挺作戦の成功発表陸軍落下傘部隊は「空の神兵」として大い喧伝され、のちに作られ映画軍歌ヒット合わせて国民広く知られ親しまれることになる。

※この「パレンバン空挺作戦」の解説は、「蘭印作戦」の解説の一部です。
「パレンバン空挺作戦」を含む「蘭印作戦」の記事については、「蘭印作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「パレンバン空挺作戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パレンバン空挺作戦」の関連用語

パレンバン空挺作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パレンバン空挺作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの挺進連隊 (改訂履歴)、蘭印作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS