ニイハウ島事件
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ニイハウ島事件(ニイハウとうじけん、Niihau Incident または Ni'ihau Zero Incident)は、1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)に、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃に加わった空母「飛龍」所属の零式艦上戦闘機が[1]、ハワイ諸島のニイハウ島に不時着して起きた一連の出来事。
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 361–363四 戦果の判定と被害/被害
- ^ 戦史叢書98 1979, pp. 92–96.
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 283–285第三潜水部隊の進出
- ^ 戦史叢書98 1979, p. 96.
- ^ 土本匡孝, 平和:「ニイハウ島事件 日系2世の汚名返上を」, オッショイ!九州, 毎日新聞, 2011年12月7日.
- ^ 高橋賢三, 「甲飛の友」, 蒼空の記憶.
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 339–341第二次攻撃隊の攻撃
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 614–616第二次攻撃隊制空隊(零戦35機)の編制
- ^ #飛龍飛行機隊調書(1)p.4
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 374–375開戦時の海上兵力配備
- ^ a b 戦史叢書10 1967, p. 392.
- ^ 戦史叢書10 1967, pp. 406–408三 各潜水部隊の作戦
- ^ 戦史叢書10 1967, p. 407.
- ^ a b Lord, Walter (1957). Day of Infamy. Henry Holt and Company. pp. 188–191. ISBN 0-8050-6803-1
- ^ 姓の「カナヘレ」は、定冠詞の「カ」、「森」の意の「ナヘレ」で構成されている。(Dictionary translation.) カナヘレはニイハウ島に祖先を持つ家族にとって一般的な姓である
- ^ Prange, Gordon W. (1962). December 7, 1941: The Day the Japanese Attacked Pearl Harbor. New York: McGraw Hill. pp. 375–77
- ^ a b William Hallstead (2000年11月). “The Niihau Incident”. 2017年3月15日閲覧。
- ^ Beekman 1982, p. 112
ニイハウ島事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 09:02 UTC 版)
詳細は「ニイハウ島事件」を参照 1941年(昭和16年)12月7日、真珠湾を攻撃した日本海軍の零戦のうち1機がエンジントラブルのためニイハウ島に不時着した。操縦士の西開地重徳一飛曹は、一旦は日系アメリカ人2世の原田義男に救助され匿われたものの、住民に地図や拳銃を奪われ、取り戻すために戦ったのち、西開地は殺害され原田は自殺した。なお、島民にも負傷者が出た。
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