西開地の不時着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 20:15 UTC 版)
12月7日(日本時間12月8日)、日本海軍の空母「飛龍」(第二航空戦隊)に所属する西開地重徳(にしかいち・しげのり)一飛曹は、真珠湾攻撃の第二波攻撃に参加した。オアフ島の飛行場を襲撃中に空戦に巻き込まれて行方不明となり、自爆認定された。実際には、西開地はニイハウ島の野原に不時着していた。 アメリカ軍の記録によると、空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を護衛していた重巡洋艦ノーザンプトン (USS Northampton, CL/CA-26) が南雲機動部隊捜索のため水上偵察機2機を発進させ、この偵察機が零戦1機を撃墜したと報告した。ハルゼー提督は、この日本機がニイハウ島に不時着した零戦と推測している。なおニイハウ島南方で不時着機収容のため待機していた伊74は、同島近海を航行中のサラトガ型航空母艦を発見して追跡を開始した。これは空母サラトガではなく、エンタープライズであったという。 不時着の原因が何であれ、西開地の零戦はニイハウ島に不時着した。その約600メートル近くに住民の先住ハワイ人のハウリア・カレオハノがいた。カレオハノは真珠湾攻撃に気づいていなかったが、日本の拡張主義とアメリカの日本への石油禁輸によって両国の関係が悪化していることは、新聞を読んで知っていた。カレオハノは、西開地と零戦を見て、彼が日本人だと気付き、不時着の混乱の最中、彼の銃と書類を奪った。 カレオハノと集まってきた住民たちは、西開地を伝統的なハワイ式歓迎やパーティーでもてなした。しかし、日本語と片言の英語のみを話す西開地の言葉を、住人たちが理解する事はできなかった。住人たちは、日本生まれの日系アメリカ人一世で、ハワイ人の妻を持つシンタニ・イシマツを通訳として呼んだ。 シンタニは、事前に状況を把握しており、明らかな嫌悪と共に通訳に臨んだ。彼は西開地とわずかな会話しかしなかった。そのため、西開地の態度が硬化し、シンタニは動揺して帰ってしまった。困惑した住民たちは、次にハワイ生まれの日系アメリカ人二世で、妻の梅乃(ウメノ・アイリーン)も日系アメリカ人二世だった原田義雄を呼んだ。 西開地はシンタニと違い比較的友好的であった原田に真珠湾攻撃に参加した事を明らかにした。原田はその事実を非日系人の住民には知らせなかった。西開地は奪われた書類を取り戻す事に必死だった。彼はその書類がアメリカ軍の手に渡っても何の意味も無いと言ったが、カレオハノは返却を拒否した。
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