第二波攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)
ハワイ時間午前8時54分(日本時間4時24分)、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。水平爆撃隊の艦攻54機は航空基地を爆撃し、急降下爆撃隊78機が第一波が大損害を与えたアメリカ艦船に追い打ちをかける作戦であった。しかし、アメリカ軍は第二波攻撃隊襲来まで攻撃が下火になった15分 - 30分の“小休み”を使って、攻撃に対する準備を行っていた。飛行場の滑走路に飛び散った残骸を片付け、対空機銃や高射砲を据えつけ、海兵隊や陸軍歩兵は陣地を構築したが、中には小銃で対空射撃をした兵士や、私物の拳銃や狩猟用ライフルを使う兵士もいた。旗艦赤城の阿部善次大尉は熾烈なアメリカ軍の対空砲火を見て「オアフ島の北端に達するやいなや、激しい防空放火が次第に我々に近づいてきたので、ぞっとするものを感じた。」と述べ、急降下爆撃隊の千早猛彦大尉は「敵の防御砲火熾烈(しれつ)」と打電している。また、攻撃隊が真珠湾に侵入したときには大火災の黒煙でバトルシップ・ロウが覆われており、正確に爆撃するのが困難となっており、攻撃隊は激しい対空砲火をあびながら、狙うことが可能な目標を攻撃するしかなかった。 戦艦ネバダは第一波攻撃で魚雷が命中していたのと、近くで爆沈したアリゾナの燃料火災が迫っていたため、外洋に退避することとした。そのために戦艦泊地の投錨地(とうびょうち)のブイに係留している舫を解くためエドウィン・J・ヒル(英語版)大尉と部下が作業していたところに急降下爆撃機が襲い掛かり、舫を解いた刹那に日本軍機が投下した爆弾がヒルらが作業していた近くの海面に着弾し、ヒルらは戦死した。舫が解けたおかげでネバダは戦艦泊地を脱出することができ、外洋に向け南水路を前進始めた。しかし、急降下爆撃隊隊長の江草隆繁少佐が発見、江草は源田より戦艦を主水道で沈没させ真珠湾を封鎖できるチャンスをつかむよう指示されており、これが絶好のチャンスと感じ、攻撃を集中した。激しいネバダや地上からの対空射撃に急降下爆撃機はたちまち3機を撃墜されたが、ネバダも6発の直撃弾と2発の至近弾を浴びて沈没の危機に瀕した。それを地上の艦船管制塔から見ていたファーロングが、ネバダに浅瀬に退避するよう信号を送ると共にタグボート2隻を派遣した。ネバダは指示通り外洋脱出を諦め、ホスピタル・ポイント(避難用浅瀬)にタグボートの支援を得ながら到達し、自ら座礁し沈没を回避した。 日本軍急降下爆撃隊は戦艦ペンシルバニアや駆逐艦が収容されていた乾ドックにも襲い掛かった。民間工ジョージ・ウォルターズはクレーンを振り回して、低空で侵入してくる日本軍機を払いのけようとした。捨て鉢な行動ながら、しばらくの間は日本軍機の妨害に成功したが、やがて爆弾が命中してクレーンは破壊されてしまった。その後は、日本軍の急降下爆撃機があらゆる方向から乾ドックを襲ってきた。ドックの出入り口に爆弾が直撃すれば、激しく流入してくる海水でペンシルバニアが駆逐艦に激突して甚大な損傷を被る恐れがあったので、ドックに水が注入され、ペンシルバニアはジェームズ・クレイグ少佐によってしっかりと繋留ロープで固定されたが、クレイグが艦に戻ってきた直後に日本軍の250㎏爆弾がペンシルバニアの副砲塔に命中し、クレイグは戦死した。ドック内ではペンシルバニアよりは、前方にいた駆逐艦カッシンとダウンズの方が損害が酷く、ペンシルバニアに命中しなかった爆弾を全て引き受けたように見え、両艦とも大火災に包まれていた。9時37分にはカッシンが大爆発を起こしてダウンズに向かって横転し、両艦ともに再起不能なほどの破壊に見舞われてしまった。また西側の浮きドックに係留されていた駆逐艦ショーは9時12分の命中弾で、9時30分に前部火薬庫が誘爆、この日の爆発としては爆沈した戦艦アリゾナに次ぐような大爆発で、戦っていた真珠湾の水兵たちが一瞬手を休めてこの光景に目を奪われるほどであったという。 バトルシップ・ロウの激しい黒煙で攻撃を断念した日本軍急降下爆撃隊は、フォード島を挟んで反対側に停泊していた艦船を狙い始めた。水上機母艦カーティスには被弾した九九式艦上爆撃機1機が体当たり攻撃を行い大火災を起こした。軽巡洋艦ローリーも日本軍機による包囲攻撃を受けて、投下された2発の250㎏爆弾のうち、1発が至近弾で、もう1発が後甲板に立っていた2人の水兵の間に命中したが、そのまま艦を貫通して艦底を突き抜けて海底で爆発した。そのため、ローリーは大きく左舷に傾斜したが、シモンズ艦長は冷静にダメージコントロールを命じて、搭載の水上機を発進させると、魚雷発射管、魚雷を始めとして、艦内の椅子や什器に至るまで海上に廃棄して軽量化をはかり転覆を回避した。ローリーはダメージコントロールを継続しながらも、激しい対空砲火を日本軍機に浴びせ続け、5機の撃墜を報告している。 日米の激しい戦闘の最中に、ホノルル港に停泊していたオランダ籍の貨客船ヤーヘルスフォンテインが、真珠湾基地に向けて攻撃する日本軍機に向けて搭載している対空砲の射撃を行い、太平洋戦線において最初の連合軍の友軍の参戦となった。なお同艦に怪我人や死者は出なかった。 艦攻隊と制空の戦闘機隊はフォード島の航空基地攻撃を行った。飯田房太大尉率いる蒼龍の零戦隊は、陸軍航空隊ベロース基地を攻撃し、離陸しようとするP-40戦闘機を機銃掃射で撃破、また駐機しているP-40にも機銃掃射を加え合計5機を撃破している。その後、蒼龍零戦隊は海軍航空隊のカネオヘ基地に転戦したが、飯田機はカネオヘ基地の対空砲火により燃料タンクが損傷し燃料の噴出が止まらなくなったため、母艦に帰還するのは困難と判断、一旦は列機を帰投進路に誘導した後、引き返しカネオヘ基地の格納庫に突入、自爆した。対空射撃をしたアメリカ兵に機銃掃射を加えながら、兵舎近くの道路に突っ込んだという証言もある。飯田の遺体は四散していたが、日本軍の攻撃が終わった後に、アメリカ海兵隊兵士が丹念に拾い集めてきれいな箱に収めて名誉ある埋葬を行っている。日本軍はハワイの全ての航空基地を攻撃したつもりであったが、もっとも遠方にあったハレイワ基地の存在を知らず、日本軍から攻撃されず被害もなかった。同基地より出撃したケネス・テイラー(英語版)中尉とジョージ・ウェルチ(英語版)中尉のP-40は、真珠湾上空で急降下爆撃隊の艦爆4機を撃墜、その後にホイラー飛行場で燃料と弾薬を補給すると再度離陸し、制空隊の零戦2機 - 3機を撃墜し一矢を報いている。ホイラー飛行場からはテイラーとウェルチ以外も4機の戦闘機が離陸し、日本軍機を迎撃しているが、蒼龍零戦隊で飯田の部下であった藤田怡与蔵中尉もその空戦に参戦し、P-36戦闘機1機を撃墜している。 多くのハワイの市民は、8時少し前に始まった砲声や爆発音で騒ぎを知ったが、1941年初めより太平洋艦隊は実弾演習を繰り返しており、今回も演習と思って無視しようとした。低空を飛び交う日本軍機や落下してくる高射砲の破片などでいつもの演習ではないことを認識し、パジャマ姿のまま家を飛び出し真珠湾方面に上がっている黒煙を見たが、それでも攻撃と認識できない市民も多かった。ホノルル市長のレスター・ペトリーもその内の一人で、この日を振り返って「演習用の煙幕であり、私はあれが完璧なデモンストレーションと思っていた。」と述べている。 ラジオ局のKGMBは日本軍攻撃開始前まで通常の番組を放送していたが、まず8時4分に通常の番組を中断してアナウンサーのウェブリー・エドワーズ(英語版)が全軍人・軍属に基地に召集する軍の短い声明を読み上げた。その後は通常番組に戻ったが、数分ごとに、消防士、医師、救助隊員などを召集するアナウンスで中断され、ついに8時40分にエドワーズが「この放送を中断して、この重要なニュースをお知らせします。どうかしっかりお聞き下さい。島は攻撃を受けています。くりかえします。島は敵軍の攻撃を受けています。」と伝えた。しかしこの放送を聞いても真に迫った演習と考える市民もおり、中には3年前に『宇宙戦争』のラジオ放送で起こったパニックと同じと疑った市民もいた。仕方なくエドワーズは9時に再度「これは演習ではありません。日本軍が島を攻撃しているのです。これはreal McCoy(現実)なのです。」と震える声で自分を信じてもらいたいと訴えている。 第二波攻撃隊の被害はアメリカ軍の対空砲火が激烈となったため第一波攻撃隊と比べて大きかった。第二波攻撃で未帰還となった日本軍機は20機と第一波の2倍以上となった上、被弾した損傷機も増加し、第二波攻撃隊帰還時点で、艦戦23機、艦爆41機、艦攻10機の合計74機に達しており、損傷機の多くがようやく帰還した状況であった。また「飛龍」所属の零戦(西開地重徳 一飛曹)はニイハウ島に不時着、12月13日のニイハウ島事件で死亡した。なお第二波の攻撃の最中に、アメリカ本土から回航されてきたボーイングB-17の第二陣6機がヒッカム基地に着陸しようとしたが、日本軍機による強行着陸と誤認した地上兵に対空砲火を受けたため、3機は無事着陸したものの、2機はハレイワ基地に向かい、残りの1機はオアフ島・カフクにあるゴルフ場(カフク・ゴルフコース)に不時着した。
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