「友永雷撃隊」を指揮、戦死
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友永は、「飛龍」第二波攻撃隊(九七艦攻10機、零戦6機。後世「友永雷撃隊」と呼ばれる)を指揮して、米機動部隊攻撃のため再度出撃し、戦死した。友永の戦死の瞬間は、友永機と思われる隊長標識を付した艦攻を撃墜したジョン・サッチ少佐、友永の部下の一人の2名に目撃された。 サッチのグラマンF4Fから機銃弾を浴び、両翼が炎に包まれても、友永機は米空母「ヨークタウン」に向け魚雷を投下するまで飛び続けた。サッチは次のように述べている。 日本の指揮官機はリブをむき出しにしながらも何とか飛行をつづけ、海中に墜落する寸前に魚雷を投下し、ほとんど絶望的な状況でも最後まで任務を果たそうとした。 — ジョン・サッチ、 彼は卓越した雷撃機パイロットであり、決断力に富んだ人物であった。 — ジョン・サッチ、 友永は戦死したが、友永雷撃隊は「ヨークタウン」の左舷に2本の魚雷を命中させ、機関部を破壊されて航行不能となった「ヨークタウン」は26度傾斜して転覆に瀕し、「ヨークタウン」艦長は総員退去を命じた。 なお、日本側の戦闘詳報には、友永機について下記のように記されている。 搭乗員(二中隊の最後に発射せし二中隊二小隊二番機電信員)の確認せる所に依り指揮官機は発射後防禦砲火命中し「ガソリン」に引火したるまま〔ヨークタウン〕艦橋附近に激突自爆せること判明す — 軍艦飛龍 戦闘詳報。原文は漢字カナ。〔ヨークタウン〕は引用者が挿入、 詳細は「ミッドウェー海戦#飛龍の反撃」を参照 友永は戦死後、海軍中佐に2階級特進した。大分県別府市野口中町の生家跡地には、友永の誕生の地であることを記す顕彰碑がある。墓所は別府市営野口原墓地にある。
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