相次ぐアメリカ本土攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:05 UTC 版)
「ドーリットル空襲」の記事における「相次ぐアメリカ本土攻撃」の解説
1941年(昭和16年)12月8日に行われた真珠湾攻撃以降、アメリカ軍は日本軍に対し各方面で一方的な敗退が続いた。さらに真珠湾攻撃終了後、同作戦支援にまわっていた日本海軍・先遣部隊(指揮官清水光美第六艦隊司令長官)の一部潜水艦を抽出して先遣支隊が編成され、アメリカ大陸西岸で行動する。巡潜乙型潜水艦計9隻(伊9、伊10、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、伊25、伊26。10隻との記録もある)は、太平洋のアメリカとカナダ、メキシコの西海岸に展開し、12月20日頃より連合国、特にアメリカに対する通商破壊戦を展開した。 その結果、約10日間の作戦でアメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を5隻撃沈し、5隻大破させ、その総トン数は6万4669トンに上った。中には西海岸沿岸の住宅街の沖わずか数キロにおいて、日中に多くの市民の目前で貨物船を撃沈した他、浮上して艦船への砲撃を行い撃沈するなど、活発な作戦を行った。1942年(昭和17年)2月24日には、日本海軍の伊17乙型大型潜水艦によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃を行いこれに成功するなど、一連の本土への先制攻撃を行った。 これらの日本軍による一連の本土への先制攻撃は、これまで殆ど本土を攻撃された経験のないアメリカ政府のみならず国民にも非常に大きな衝撃を与えた。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は日本軍の本土上陸は避けられないと判断し、ロッキー山脈でこれを阻止する作戦の立案を指示し、同時にニイハウ島事件の影響もあり日系アメリカ人の強制収容も行うこととなった。 さらにアメリカ政府はこれらの日本軍の本土攻撃に対して、国民の動揺と厭戦気分を防ぐべくマスコミに対する報道管制を敷いたが、その後も日本軍の上陸や空襲の誤報が相次いだ。さらには上記の砲撃作戦の翌日には、ロサンゼルスに対する日本軍機の空襲を誤認した陸軍による高射砲戦が行われた結果、6人の民間人の死者を出すなど(ロサンゼルスの戦い)、アメリカ国内は官民を問わず大きな混乱と恐怖に覆われることとなった。
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相次ぐアメリカ本土攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:50 UTC 版)
「アメリカ本土空襲」の記事における「相次ぐアメリカ本土攻撃」の解説
1941年12月7日に行われたマレー作戦と、それに続く真珠湾攻撃以降、日本軍は太平洋戦線において、連合国軍に対して連戦連勝を続けていた。 このような状況下で、日本海軍は開戦直後の12月末に10隻程度の潜水艦をアメリカ西海岸沿岸に展開し、サンディエゴやモントレー、ユーレカやアストリアなど複数の都市を砲撃するという作戦計画があった。しかし、「クリスマス前後に砲撃を行い民間人に死者を出した場合、アメリカ国民を過度に刺激するので止めるように」との指令が出たため中止になった。なお、この中止指令に至る理由は諸説ある。 その後1942年に入ってからも、これらの日本海軍の潜水艦はそのまま通商破壊戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈し、中には西海岸の住宅街沖わずか数kmにおいて、日中多くの市民が見ている目前で貨物船を撃沈する他、浮上して砲撃を行い撃沈するなど、活発な攻撃が行われていた。 さらに1942年2月24日に「伊号第一七潜水艦」(以下「伊17」とする)によりカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃作戦を行い、何の反撃も受けないままに同製油所の設備に被害を出すことに成功し、アメリカ本土への日本軍上陸を警戒していたアメリカ政府に大きな動揺を与えた。 これらの日本海軍による本土沿岸における攻撃に対して、アメリカ軍やカナダ軍、メキシコ軍は有効な対策を打てなかった。
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