作戦の立案とは? わかりやすく解説

作戦の立案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)

真珠湾攻撃」の記事における「作戦の立案」の解説

1941年昭和16年1月14日頃、連合艦隊司令長官山本五十六第十一航空艦隊参謀長大西瀧治郎少将手紙送り1月26日 - 27日頃に戦艦長門連合艦隊旗艦)を訪ねた大西は、山本からハワイ奇襲作戦立案依頼された。山本から大西の手紙の要旨は 「国際情勢推移如何によっては、あるいは日米開戦已むなきに至るかもしれない日米干戈をとって相戦う場合、わが方としては、何か余程思い切った戦法をとらなければ勝ちを制することはできない。それには開戦初頭ハワイ方面にある米国艦隊主力対し、わが第一第二航空戦隊飛行機隊の全力をもって痛撃与え当分の間米国艦隊西太平洋進行不可能ならしむるを要す目標米国戦艦群であり、攻撃雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易ならざることなるも、本職自らこの空襲部隊指揮官拝命し、作戦遂行全力を挙げる決意である。ついては、この作戦如何なる方法によって実施すればよいか研究してもらいたい。」 というものであった鹿屋航空基地第十一航空艦隊司令部戻った大西は、参謀前田孝成大佐に詳細伏せて真珠湾での在泊艦艇対す魚雷攻撃雷撃)について相談したが、真珠湾水深が浅いために航空雷撃不可能という回答だった。大西第一航空戦隊参謀源田実中佐2月中旬鹿屋呼び同様の質問をした。戦闘機乗り出身源田は、雷撃専門ではないか分かりかねるが、研究次第可能になるかもしれぬと回答した大西源田作戦計画案を早急に作るように依頼した源田計画案2週間ほどで仕上げて大西提出、それに大西手を加え3月初旬頃、山本提出した源田案は、空母部隊集結場所小笠原諸島父島か、北海道東部厚岸として、真珠湾200海里まで接近しそこから攻撃隊を発進させるもので、二案あった。一つ目雷撃が可能である場合で、艦上攻撃機雷撃とし、艦上爆撃機共同攻撃する案、二つ目雷撃不可能である場合で、艦攻降ろして全て艦爆にする案である。艦上戦闘機制空飛行機撃破充当し使用母艦第一航空戦隊赤城加賀)、第二航空戦隊蒼龍飛龍)と第四航空戦隊を使う。航路機密保持のために北方から進攻する主目標空母、副目標戦艦とした。水平爆撃当時命中率悪く大量艦攻必要になるため計算入れなかった。これを大西は、戦艦には装甲貫通能力の高い艦攻による水平爆撃を行うこと、出発基地択捉島単冠湾源田の案を修正した9月頃、源田大西から参考のために手渡され書面には、雷撃不可能でも艦攻降ろさず、小爆弾多数搭載して補助艦艇攻撃加え戦艦致命傷与えられなくとも行動をできなくすればよいということになっていたという。山本真珠湾水深の関係から雷撃ができなければ大きな効果期待しえないのでこの作戦断念するつもりであった。しかし、不可能ではないと判断されたため、戦艦に対して水平爆撃雷撃併用する案が決定された。 攻撃優先順として、主目標戦艦空母とし、次にその達成妨害するだろう敵航空基地飛行機が副目標となった工廠こうしょう)や油槽などの施設目標とされなかった。戦力二分していずれの攻撃もが不徹底に終わるよりは艦艇破壊集中したほうが良い考えたためであり、工廠油槽などの後方施設重要性認めながらも、これらへの攻撃はあえて切り捨てる方針がとられた。また攻撃持てる艦載機による一度だけの出撃とされ、発艦第一波第二波分けられ(当時航空母艦艦載機カタパルトは無いので搭載機一度全機飛ばすことは出来ず飛行甲板最大限並べても2回に分ける必要があった)、戦果如何に関わらず再攻撃計画されていなかった。しかし一方で山本は、攻撃後、ハワイ上陸の案も幕僚もちかけていたという。 実施部隊である第一航空艦隊4月10日編制)に作戦構想伝えられると、第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将は、先任参謀大石保中佐航空参謀源田ハワイ奇襲作戦実行計画仕上げ命じた企図秘匿のために航海条件の悪い北方航路選んだため、洋上燃料補給できない場合もあるとして、一部艦艇航続力問題となったが、海軍省軍務局暗黙の了解のもと、第一航空艦隊司令長官権限で、燃料庫以外にもドラム缶で各艦の強度が許す限り燃料搭載することとした。 使用する航空母艦当初第一第二航空戦隊の4隻を胸算していたが、連合艦隊は、9月1日編成され翔鶴8月8日就役)と瑞鶴9月25日就役)の新鋭大型空母2隻を擁する第五航空戦隊も、搭乗員器材準備が間に合うなら使用したい考えた山本かねがね日露戦争劈頭旅順口攻撃において、港外での敵艦夜襲失敗した一因兵力不足によると述懐していた。しかし、軍令部考えは4隻であった10月9日 - 13日連合艦隊司令部研究会が行われた。軍令部航空部員の三代辰吉はこの研究会出席するために出張してきたが、研究会終わった後に連合艦隊司令部に赴き、6隻使用は到底了承しがたい旨を伝えて東京帰った軍令部において9月行われた兵棋演習では、敵戦艦5隻、空母2隻の撃沈破と引換えに、味方空母4隻中3隻沈没、1隻大破機動部隊全滅という結果終わり軍令部危惧裏付ける結果となった大西第一航空艦隊参謀長草鹿龍之介少将は、蘭印オランダ領東インド)の石油資源獲得のために、アメリカの植民地だったフィリピン方面戦力集中するきとしてハワイ奇襲作戦反対したが、山本両者に「ハワイ奇襲作戦断行する。両艦隊とも幾多の無理や困難はあろうが、ハワイ奇襲作戦は是非やるんだという積極的な考え準備進めてもらいたい」旨を述べ、さらに「僕がいくらブリッジポーカー好きだからといってそう投機的だ、投機的だというなよ。君たちのいうことも一理あるが、僕のいうこともよく研究してくれ」と話して説得した作戦再考求めに来た軍令部参謀に対しては「南方進攻しているあいだに本土襲われたらどうするのだ」とも語ったという。 海軍省軍務局作戦部は大反対であった大西9月末に開かれた航空艦隊首脳部打ち合わせ席上で「日米戦では武力米国屈服させることは不可能である。……対米戦に突入する以上、当然戦争早期終結考えねばならず、それにはある一点妥協をする必要がある。そのためには、フィリピンをやってもどこをやっても構わないが、ハワイ攻撃のようなアメリカ強く刺激する作戦だけは避けるべきだ」と述べたように、攻撃自体危険性さることながら米国世論激変危惧するのが反対論主旨であった10月19日連合艦隊先任参謀黒島亀人大佐が「この作戦認められなければ山本長官は連合艦隊司令長官辞職する仰っている」と軍令部次長伊藤整一中将言い、これに驚いた軍令部総長永野修身大将作戦実施認めた永野総長戦後東京裁判検察尋問対し、「私はもともと軍令部案に賛成していたのです。……海軍作戦部南太平洋アメリカ軍何年も待つことに賛同していました」「私は海軍省軍務局の方が理にかなっていると思ったので、こちらの計画賛成だったのです。しかし、艦隊指揮者辞任するのは反対でした。……一番良いのは承認だと思ったのです」と証言している。 また、草鹿によれば山本は自らを連合艦隊司令長官から機動部隊司令長官格下げして陣頭指揮に当たり、連合艦隊司令長官には米内光政据えと言う腹案抱いていたという。 援護作戦として駆逐艦二隻によるミッドウェー島砲撃計画された。 詳細は「ミッドウェー島砲撃」を参照

※この「作戦の立案」の解説は、「真珠湾攻撃」の解説の一部です。
「作戦の立案」を含む「真珠湾攻撃」の記事については、「真珠湾攻撃」の概要を参照ください。

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